人気ブログランキング | 話題のタグを見る

戦争で死ねなかったお父さんのために (1979年)

どんな出来事も劇的な展開が必要とされるのだ。




戦争で死ねなかったお父さんのために (1979年)
  • つかこうへい
  • 新潮社
Amazonで購入
書評

「郵便屋さんちょっと」「初級革命講座 飛龍伝」「熱海殺人事件」「出発」「戦争で死ねなかったお父さんのために」の6作が収録された つかこうへいの戯曲集。

どれも 3人から6人程度の少ない登場人物で、それぞれ同じ場所で繰り広げられる会話劇だ。

「飛龍伝」に関しては旬の女優さんを主演に再演を重ねているようだ、というのは最近のTVで見かけた話題だが、どうも雰囲気が違う。この「初級革命講座 飛龍伝」とは登場人物も扱う角度も別の物語になっていることに納得した。どの作品もどんどん内容を変化させて再演を繰り返しているようだ。
演劇は「生もの」(イキモノでもありナマモノでもある)だなぁと思う。

会話は連想ゲームのようにつながり、ひねくれ、行きつ戻りつし 急に想像の世界へぶっ飛んでいき、時にサディスティックないたぶり合いに、時に演歌調、昭和歌謡風に 目まぐるしく変化しながら進行していく。そして だんだんと人間関係や背景や事件の本質が見えてくるのだ。

「郵便屋さんちょっと」では郵便局でストライキをする局長と局員たちが、「初級革命講座 飛龍伝」では学園紛争で勇敢に戦った過去を持ち 今は挫折したといいつつ息子の嫁と平穏な生活をしている男と 元機動隊員が、「熱海殺人事件」では刑事や巡査部長たちが実は犯人ではないかもしれない男を囲み、「出発」では「家出したお父さん」とその家族が、「戦争で死ねなかったお父さんのために」では戦時中に手違いで赤紙が届かず 今頃届けられた男を警察署長と郵便局長たちが、それぞれ事態を更に「劇的」にするべく演出を施していく。

殺人事件も父の一時の不在も挫折した人生もこの世界では皆「理想の展開」を無理やりにでも創り出そうとやっきになる。事実なんてこの際どうでもいい。マスコミに報道された時 視聴者が納得する筋書きや盛り上がりが求められるように 普通の生活で、誰からの見栄えや感想を気にするはずもないことでも 彼らは皆 自分たちの求める「筋書き」へと演出を 時に団結し、時にそれぞれ自分勝手に施していくのだ。

一見 荒唐無稽で 無茶ぶり満載で お芝居なればこそ、と思いがちだが、実際に引き寄せて考えると 多かれ少なかれこういう「演出」ってあちこちに存在しているのではないだろうか。大衆に求められる「犯人像」とか 自分に都合のいい相手との関係性とか より見栄えのするよう捻じ曲げられる現実とか。

舞台で役者が演じる演劇という空間で 一般の人々(の役の役者)が「日常」の中で「演出」をし「演技」を する。本人たちが大真面目で大げさであればあるほど 見る者にとっては滑稽で馬鹿々々しい。コミカルな会話に引き込まれながら 人間の中に潜む傲慢さやエゴイズムを感じ取る。

デモだ、ストだ、学園紛争だ、なんて題材は今はもうずっと昔の物語で 大学生がヘルメットを被って政治を叫んだり 警棒で殴られ火炎瓶が飛ぶなんて 若い人たちに受けるだろうかと思ったのだが 内容を変化させながらも再演を続ける「飛龍伝」のことを思うと 今の自分に身近なテーマではなくても心を引きつけて止まない「物語」というものの「力」をしみじみと感じるのだ。

by nazunakotonoha | 2018-06-22 08:07 | つか こうへい | Comments(0)