人気ブログランキング | 話題のタグを見る

わたしの出会った子どもたち

灰谷健次郎というひとを改めて知る一冊。


わたしの出会った子どもたち
  • 灰谷健次郎
  • 角川書店
  • 480円
Amazonで購入
書評

 灰谷健次郎という作家について 随分間違った思い込みをしていたことが解った。
児童文学の名作を次々と産み出し、皆に賞賛と共感を持って遇せられる「教育評論家」とか「児童心理学のエキスパート」とかそんな肩書の「先生」のイメージを勝手に持っていたのだ。
「兎の眼」「太陽の子」の題名とあらすじはうっすらと知っていた。こどもの素直な気持ちを引き出した詩を紹介し、弱い者、傷ついた心に寄り添う そんな「出来上がった」人だと思っていた。

 実家の本棚にあって、自分が買った本だということは知っている。ずっと以前に何故この本を先に手にしたのだろう。最初に読んだ頃の印象が思い出せない。けれど、きっと その思い込みを打ち砕くものがここに書かれていることを 感じっとったから読んでみようと思ったのだと思う。当時だって読みたかったのは「偉い先生」の「ありがたい話」ではなかったはずだから。


 灰谷健次郎はまず、極貧の生い立ちを、またその環境でやむなくやってしまった「罪」を思い起こす。そして家族のこと、仕事求めて毎日並ぶまだ子供の自分に、声を掛けてくれたタッちゃんのこと。お兄さんを自死で失った悲しみ。自分がお兄さんの本当の苦しみを理解していなかったという後悔を隠さず書く。「おかまの」タッちゃんの明るさはどこからきたのだろう。貧しいということの辛さや虐げられた人の苦しさを、当時の自分はまだ本当に解っていなかったことに気づくのは それからずっと後のことだ。
 学校の先生時代も、数々の失敗を繰り返す。子供自身が灰谷先生の言葉に「はらがたった」と詩につづり、また別の時にも 引き受けたある授業で心ない言葉を言ってしまったことを先輩の先生から指摘される。(作家としても 作品や作品の一部分に差別的な感覚や現状を理解していない点を批判されたことも 後で調べて知った)障がい、貧困、周囲の無理解の中で、もがき、苦しみ、それでも明るく優しい子供たちに心を寄せ、こどもの内にある無限の可能性を信じるこの先生でも、まだまだ未熟だと反省する場面が多くつづられるのだ。

 そして 先生を辞めて放浪する中で、苦しい思い出を持ちながら 逞しく生きる沖縄の人々に出合い、今まで気づけなかったことを知る。沖縄で出会った人たちの明るさ、大らかさ やさしさは、決して呑気で平和で満ち足りた過去から来ているわけではないのだ。傷ついた人だからこその優しさを灰谷先生は肌で感じる。そのやさしさが彼の中にしみ込んで 自分の今までの傲慢さを省みさせるのだ。若い頃出会った人たちの本当の苦しみと悲しさを思い、それでも明るかったその人たちのやさしさと強さに気づくのだ。

 「たいようのおなら」という子供の詩集に曲をつけて 矢野顕子が歌っていたのを覚えている。楽しくて自然に微笑みが浮かぶような 子供の発想が素敵な詩は 矢野顕子の曲にマッチしていた。今でもいくつか覚えて歌えるその歌詞も灰谷健次郎が紹介した子供たちの詩なんだと、知った。(本作で紹介されていた作品の内に 覚えのある詩があったので検索した後解ったことだ。)

 こどもの持つ豊かな想像力、発想力、表現力は、「こんな風に書いてもいいんだよ」「こんなことも書いていいんだよ」という大人の誘い出す力で更に引き出されるのだろう。悪いことをしたこと、嫌な感情を持ったこと、やりきれない想いも、辛いことも、すべて受け入れて認めてくれる「先生」がいれば のびのびとした「詩」になる。そんな可能性を伸ばすのもつぶすのも周りの大人なのだということに気づかされる。良い先生に出合ったこどもたちは幸せだと思う。

 どんなに社会的に成功しても、過去の反省を忘れない、新しい気づきによって、誤りを認めれば正直に告白する。灰谷健次郎の作品の魅力はきっと、そんな人間にたいする真摯な態度から来るのだと思う。「兎の眼」「太陽の子」などの灰谷作品をちゃんと読んでみたいと思う。



by nazunakotonoha | 2018-02-19 21:20 | 灰谷健次郎 | Comments(0)