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坊ちゃん

切れの良い勢いとリズム、読んで楽しい文章がこんなに以前に書かれたなんて、驚きだ。



坊っちゃん
  • 夏目漱石
  • 新潮社
  • 300円
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書評



長い間ほったらかしの宿題をやっと提出したような気分だ。

筋はなぜかほぼ知っている。
あらすじを何度も読んだのか、感想文を読んだのか、もしかしたら昔、漫画になったのを読んだことがあったかもしれない。ドラマでやっていても、もう目新しくない気がして観なかったと思う。

有名な冒頭の文で 少し勘違いをしていた。
「親譲りの無鉄砲で」では 「無鉄砲な愛すべき親」の登場やせめて回想の部分があるように思わせる。だけど、主人公の親子関係、兄弟関係は 意外と冷たく、楽しいエピソードは皆無だ。

主人公「坊ちゃん」は そんな不憫な彼の たった一人の心のよりどころ、「下女の婆さん」清が、彼を呼ぶ呼び名である。
清については一番良く思い出し、思いやる相手として描かれ、まるで「母」、いや「恋人」のようでもある。(「婆さん」なんだけどね)

まっすぐで一本気、むこうみず、曲がったことが嫌いで義理人情に厚い。
頭もよく弁舌も立ち 作者のように文が上手い…のかと思ったら 案外違う。
「江戸っ子」を振りかざし、田舎をとことん馬鹿にして自尊心が強そうだが、結構いい加減な学校選びと職選び。学業もさほど振るわないみたいだし、教師としての理想や手腕も特になさそう。

地の文(心の中)ではぽんぽん威勢がいいものの、実際の会議や相手を前にしての物言いは単純で説得力もない。まあ、相手が嫌な奴だと思いながらも、その弁舌にやたら感心してしまったりするところは 結構人の良さも感じさせてくれるけれど。

そして驚きその2は 赴任地四国の町を 最後まで良く言わず、教師もののお定まり、生徒との心の交流(最初は反発されても最後は通じ合う…みたいな)のが、なんと無い!ということ。

今でも必ずどこかのチャンネルでやっている先生が主人公の学園ドラマの原点だとは思うものの
これじゃ この地やこの学校の人間関係で彼が得たことってヤツは、そして彼が他者に与えたものって・・・・何にもないじゃないか!、と思ってしまうのだ。

普段の食事は不味い、美味いと思って喜んで食べた団子と蕎麦は学生からからかいのネタにされるし、教師は(山嵐を除いて)嫌なヤツばかりで、学生も全然可愛くない。
気に食わないまま 短い期間で職を辞し東京に帰ることになるなんていう話だ。

 今「坊ちゃんの舞台」として歓迎し、坊ちゃんに愛着を感じてくれている 地元の方々のなんと心の広いことか。話の細部にカリカリせず、受け容れる度量の大きさに感心する。
そう、心の中では好き勝手言う「坊ちゃん」だけど 本当はまだまだやんちゃ坊主で、いくら江戸っ子を気取って田舎だ、行け好かんヤツらだと馬鹿にしていても そんな「坊ちゃん」こそ人間形成の過渡期、温かく見守って欲しい「若造」だったのだ。

そして すっきり爽快な勧善懲悪のラストと思っていたけれど、理屈では相手を全く倒せず。卵をぶつけてドロドロにして、もう一方はぼこぼこに殴ってやっつけましたとさ、という結構お粗末な「ハッピーエンド」なのだ。

一番の義憤の原因、赤シャツがマドンナをうらなり君から遠ざけて奪った(?)話だけど
肝心のマドンナの気持ちだとか全く解らない。いっそマドンナが赤シャツをぼこぼこにしてくれたら すっきりしたのになぁ、なんて思ったりするのだ。


金を借りても返さないのは 相手を尊敬していればこそで、だから清には返さんのだとか
手紙を書くのが面倒になって、「便りの無いのが良い便り」的理屈をひねり出したり
どれもこれも身勝手な屁理屈なんだけれど、その中に、清からの愛情を感謝をもって受け止め、清を心から大切に思う気持ちが溢れている。
身分や学歴、年齢にとらわれず、愛すべきひとを愛し、尊敬すべき人を尊敬することをきちんと認識できるようになったところは 「坊ちゃん」の成長の証で、清と離れて独り、社会に出て良かったところだと思う。

どんなに無理解な世間でも、どんなに馴染めない社会でも 無条件に自分を愛し続けてくれると信じられる相手がいることは 素晴らしい。
「坊ちゃん」の一冊を貫くのは 清と彼の「愛」なのだと思う。

by nazunakotonoha | 2013-09-06 09:08 | 夏目漱石 | Comments(2)

Commented by enzo_morinari at 2013-09-06 13:54
小学校に上がる直前、『坊ちゃん』はゲラゲラゲラゲラ笑いながら読んだ記憶があります。ところが、最後に来て、気分は一転、ボロボロボロボロ泣いた。最後の一文。

「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。」

この一文の中の「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」というところには激しく心がふるえましたね。何年か経って小日向を訪ね、養源寺を探しましたが養源寺はありませんでした。「きよの墓」という案内板には漱石の学生時代の友人、米山保三郎の祖母が清のモデルである旨が書かれてありました。
Commented by nazunakotonoha at 2013-09-07 17:06
>enzo様
笑い、泣き…自分の世代や成長に合わせ 感じるところが変わるのが 再読の醍醐味ですね。
清が「坊ちゃん」を、本当に大事に思っていることが伝わるし、坊ちゃんがそれに応える愛を持っていることが 嬉しいです。モデルの話は初めて知りました。有難うございます。