こちらあみ子

いつかどこかできっと、あみ子のトランシーバーに応答が来る、と信じたい。


こちらあみ子
  • 今村夏子
  • 筑摩書房
  • 1470円
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書評
「こちらあみ子」という題の意味がずっと解らなかった、私が鈍いのか。

そうだ、あみ子はトランシーバーをプレゼントされたのだ。

それは 生まれてくるはずの「弟(なぜか男の子が生まれてくると信じていた)」とのスパイごっこの遊び道具になるはずだった。けれど赤ちゃんは生まれることができず、母の心と身体を弱らせた。

あみ子のしたことで 母は更にダメージをうける。

あれは母を喜ばせ元気づける「お祝いの品」だったのに。
ちゃんと考えて 字の上手なのりくんに頼んで書いてもらった「弟の墓」の墓標。いい考えだと信じていたのに、母は泣いた。泣いて、沈んで、寝込んだままになって 結局あみ子を遠ざけてしまう原因ともなってしまうのだ。

最初から 何気ないあみ子の日常が あみ子の目線で楽し気に書き綴られているが あみ子がご機嫌でも歌っていても読者はだんだん気が付くのだ。
きっと訪れるあみ子にとって生きづらい世界。優しい人ばかりじゃない世界。

そしてまた思うのだ。あみ子のような子に「好きだー」って叫ばれる相手の困惑や、母、父、兄の抱える悩みや心配事。あみは子それでいいんだよ、いい子だねって言いたいのに、実際自分に引き寄せるとそう言えるだろうか、私が母ならば、兄ならば。


物語はたんたんと進み やたら感動をあおったり、悲惨な事実を突きつけたり、無理やり「考えること」を強要しない。誰が悪いとも言わないし、世間を批判するわけでもない。
あみ子とあみ子の周囲のできごとをとても素直に書き綴るだけだ。
それが 読者に何を突きつけるのかは相手に託しているようだ。

並大抵の作品じゃないぞ、そう思う。

そしてもう一作の「ピクニック」にしても然り。

妄想かもしれない 嘘かもしれない、と読者もうすうす思うのだ。売り出し中のお笑いタレントと恋愛中という七瀬さんの話を。
そして全てを受け入れる「優しすぎる」店の先輩たち。彼女たちにはそれが 夢でも妄想でもよかったのかもしれない。
騙されてる、とも思わない。七瀬さんのことも嫌いにはならない。

若い生意気な新人が現実を突きつけようとするけれど それも「優しい先輩」たちに阻まれるし、七瀬さんの世界は それくらいでは壊れない。そういうことではないのだ。彼女の幸せな世界を壊すことは。

ラストでその生意気な後輩も入っての「ピクニック」のシーン。仄明るい幸せな雰囲気はどこから来るのだろう、と考える。

あみ子のお母さんが得られなかった幸せがここにはある。「家族」じゃないからだ、本気で「迷惑」を掛けられることも、彼女の将来を気にする必要もないからだ。そういう説明もつくけれど それも違う。
「優しい先輩」たちにちっても 七瀬さんの居る幸せな世界が、それを認めて見守ることが 心の安定を約束するパラダイスだったのではないか。

口は悪いけれど、そうやってあみ子と自然にかかわることができる唯一のクラスメイト、あみ子には名前すら覚えてもらえない少年や 後年仲良しになった竹馬に乗ってあみ子を訪ねてくる少女の存在は同じように、物語に優しい風を運んでくれる。


読んでいる間の途切れない息苦しさは2作品とも同じだったけれど、決して重苦しくない、不思議な明るさのある読後感の作品だった。



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# by nazunakotonoha | 2017-11-11 00:36 | 今村夏子 | Comments(0)

ピンクとグレー

「ごっち」と「りばちゃん」。芸能界を駆け上がった者とくすぶったままの者。幼馴染。
引き合っただけ反発する心。
こんな最後しかなかったのだろうか、と切ない。


ピンクとグレー
  • 加藤シゲアキ
  • KADOKAWA/角川書店
  • 605円
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書評


作者が今 TVをつければかなりの頻度で会えるジャニーズのアイドルグループの一員だということは ここでは問題にしないでおこうと思う。
もちろん 作者が実際そういう環境に居ることもこの作品を創り出す一要素になっているはずだけれど、ちゃんと作品として評価するのに 必要ではない気がする。

映画ではまた構成を再構築しているらしい。
主人公たちが生きる映画やドラマといった「虚構」で表現する世界と、彼らの「現実」の世界を絡め、映画を観る人まで巻き込んで 大きなどんでん返し的な仕掛けを入れてくる、という映画を作る人の意気込みも頷ける。この小説はそれだけ魅力的な「素材」でもある。
この「現実」が小説内の、というところがまた更にフクザツだ。加藤シゲアキ自身のノンフィクションでは 決して無いからだ。


小説もなかなか凝った構成にしてある。こちらはこちらで映画のようなミステリー仕立ては狙ってはいない。それでも 時間軸を行ったり来たりすることで(章の題名に年齢とその時期に関係する飲み物の名があるのが面白い。)謎を残し続きを読みたい気持ちを引っ張る原動力にもなっている。

少年時代の出会いからずっと親友だった二人の 微笑ましい様々なエピソード ごっちの姉の事故と死。高校時代 バンドを組んで歌ったオリジナルのナンバーの歌詞の意味、その本当の意味。
代理のアルバイトから始まったモデルの仕事。ずっと二人一緒だった、同等だった。同じ景色を見ていたかった。

二人いれば、同じ道を進めば いずれはやって来る葛藤。他人の評価やチャンスは二人同じようにはいかないのだ。当然生まれてくる葛藤、軋轢。

それでも 幼馴染のもう一人サリー(ずっと男の子だと思っていた。読者は軽く騙される)と再会しごっちと付き合い、二人の間の溝を埋めようと努力する。爽やかな彼女の登場する場面では 少しだけほっと気を抜ける時間でもある。ただそれが 後戻りできない辛い結末を予想させるのも確かだ。

「蓮吾(ごっちの芸名)」の 生きるのが辛くなっていく頃の気持ちは ごっちは語ることができない。
何故、は解き明かされることない謎を含んだままだ。

描かれるのは残された「りばちゃん」が様々な人の言葉や思い出や想像を紡ぎ合わせた「ノンフィクション」の出版物の文章でもあるからだ。そして くすぶっていた「りばちゃん」が芸能界で生き、「ごっち」の役を映画で演じることになる。これも「蓮吾」が望んだ筋書きなのだろうか。

そしてすべての幕切れまでのスピードは加速する。

題名に2色の色が挙げられる。目に見える「色」についての話、自分の「色」について。色が大事な意味を持たされているのは解る。映画もそこを捉えてカラーとモノクロを使い分けたようだ。さらっと読んだだけでは 作者が言いたかっただろう題名の2色の本当の意味あいが解らなかったのが残念だ。

主人公たちのニックネームの由来の「スタンドバイミー」や ごっちが父親の影響で知っている吉田拓郎の歌の一節、オリジナルの楽曲の歌詞、花の名前の意味など ちりばめられた様々なパズルのピースが 読者のイメージを膨らませる。

「読みやすくて先が気になる本を」と最近読書のスピードが落ちたので購入したこの一冊は 思った以上に内容が深くて重かったけれど、読んで良かった、と思う。

映画にはR指定してもいいようなシーンがあるそうだ。小説に全くないそういうシーンを入れられてしまったのは 観る人選んでしまうをという点でとても残念だと思う。


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# by nazunakotonoha | 2017-09-03 22:40 | 未分類(国内の作家) | Comments(0)

小川洋子ワールドにどっぷり。もう少し、前の1冊と間を空けて読めばよかった。



  • 小川洋子
  • 新潮社
  • 432円
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書評

その時一気に2冊、同じ小川洋子作の「まぶた」と「海」を買ってしまったのだ。いつも行かない大きな本屋さんに並んでいたのであまりに嬉しくて。

さすがに数冊の間と期間を置いて読んだつもりだったのだけれど もう少し、もう少しだけ空けたら良かったのに、と思う。

ごく短い数編を含み、どの物語もやはり小川洋子。いつもどおり少しだけ不思議な状況や言葉、ひとや物が 日常の中に紛れ込んでいる。それらのものは 物語の中できらりと光って静かな存在感を示すのだ。

物語を特定して 最後に掲載の比較的長い「ガイド」などで考えてみると どことも特定できない異国風な場所設定を、普通に日本のどこかに置き換え、変わったデザインのシャツを作るおばさんを「シャツ屋」という風に仕事と店の名前も出さず 洋裁が得意なおばさん(時々 変わったデザインのシャツを作る程度でもいいけれど)、詩人を辞めて「題名屋」という不思議な仕事をしているという紳士については「物事や思い出にうまい『題名』を考えるのが得意な人」とだけにすれば かなり普通の、他の作家さんでも書けそうな話になりそうだ。こういった細部に少しだけ奇妙で不思議なものを差し込みつつ、まるで当たり前に存在しているか、それがないと物語が成り立たないとでもいうように描くのがこの作家さんの特徴のように思うのだ。いつもどこか居心地が悪く、少しだけ歪んでいて でも優しくて澄んでいるという 独特な印象。

掲載されているインタビューや解説を読んでいて 私の受けた印象とかなり違っていたのは「バタフライ和文タイプ事務所」。
コメディ要素とかユーモア、ノンセンスなどの言葉を使われていたのだけれど、わたしにはただ、活字のことを書いていながらエロティックにすり替えて読めるようになっている話として 悔しいほど上手くドキっとさせられてしまう。「面白い」といえば面白いんだけど それをユーモアという風には受け止められなかった。読み手を記述のトリックでドギマギさせようという意図を感じるというよりは、大真面目に医学用語ならこういう文字をタイピングすることもありなんだよな、と思ってしまったからもある。(何という文字、活字について どういう会話が交わされているかはここでは伏せますね。ぜひ読んでみてください)

こういう記述の仕方を「大人の遊び、おふざけ的なもの」として笑える余裕というものが自分に無いのでしょうかね。「活字」に対する偏執的なまでの愛というものを普通に感じてしまっていました。

今度はもう少し他の作家さんの本を間に沢山読んでから、この世界に戻って来たいと思います。未読で読みたいと思っている作品はまだまだあるんだけどなぁ。


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# by nazunakotonoha | 2017-08-30 21:32 | 小川 洋子 | Comments(0)

ちょっとした偶然やすれ違いで恋の行方は変わっていくものなのか。



  • 森鴎外
  • 新潮社
  • 340円
Amazonで購入
書評



恋、というよりほのかな思慕。初めて恋を知ったお玉からは純情な乙女のようなときめきを感じます。

それもそのはず。
相手の仕事が「高利貸し」とは知らず妾となり、女中の女の子一人をあてがわれて、ひっそりと住まう美しいお玉。最初こそ 旦那の来ることだけを待ちながら もし旦那が来た時自分が留守ではいけないと、これも近くに住居をあてがって貰った父を、訪ねることすら憚って暮らしています。

まだ あどけなさの残る頃に見初め、お玉を手に入れた旦那の末造は元来無駄遣いや遊びにお金を使う人ではないけれど、父子二人で暮らしてきたお玉のためには 惜しまず(ちょっとは惜しんでいたかな?)父親の住まいも用意するという惚れぶりです。

末造の中では 本妻や子供に手を上げたり声を荒げたりせず、今まで通りの生活をさせているだけで何の落ち度も無い、妻に疑われ責められたとて、悪いことなどしていないという気持ちの居直りがあります。妻への言い逃れ方も上手いし、やり取りの中に夫婦の性格や気持ちの食い違いがリアルに描かれます。描き方はちょっとユーモラスで重さや暗さは感じません。

そんな末造を待つだけの日々に変化が起きたのは 外を通るある大学生にお玉が惹かれるものを感じ、日々通るのを心待ちにしてしまうようになったこと。そして ある日 彼がふとお玉に挨拶をしたこと。

もちろん物語が急に動き出す、ということはありません。
それでも小さな出来事はお玉に少しずつこころや態度に変化をもたらすのです。片恋は彼女をさらに美しくする。秘密は彼女を魅惑的にする。末造は勘の鋭いたちらしいのですが その変化の原因には気づいていないようで 自分の手柄のように思っているくらいです。

末造へのうわの空の受け答えが逆に 今までのような硬さを緩め、秘密を持ったことで更に末造に丁寧に接する様子を好ましく感じるあたり 男なんて単純な生き物だとでもいうようです。ただ、お玉についても末造を手玉に取るような悪さ狡さは感じさせません。基本この物語に「悪者」は登場しないのです。(妾を囲うことや旦那が居るのに他に恋心を抱くことが「悪い」といえば そういうことになってしまいますが)

お玉と挨拶を交わすようになった学生の岡田とお玉が近づくきっかけは 鳥と蛇。鳥は末造がお玉を喜ばそうと鳥かごと共に買ったもので、軒下に吊ったその鳥かごを蛇が襲うという事件がありました。ヒーロー岡田は 隣へ手習いに来た女の子の人だかりをかき分け、蛇を退治してくれます。

これがきっかけでも、すぐに何かが起こる わけでもありません。物事はなかなかすいすいとは進まない。進まないから先が知りたくて読み手の手は止まりません。鴎外センセお上手です。

お玉は「お礼」を言うという理由ができて でもどうやって何をどういうタイミングで言えばいいのかあれこれ考えます。女中がするというのに窓を拭いたりして 恋しい岡田を待つのです。お礼の品を渡すのはどうだろう、手紙もつけたらいいかしら、でも何て書いたらいいのだろう、上手に手紙なんて書けるかしら・・と まるで告白をする前の女学生のようでもあります。

さて、末造が用事で出かけ訪ねて来ないと確認できた日、お玉は女中にも里帰りを促し、一人で彼の通りかかるのを待つのです。声をかけるチャンスは彼の行と帰りの2回。
なのに、です。

一人でいつものように通るはずの岡田は 下宿で出された鯖の味噌煮が嫌いな友人に誘われて外食に出たので 「連れ」が居ます。もちろんお玉の期待外れ。岡田はそんなこと知りません。
では 帰りは?というと今度の障害は「雁」です。まさにこの物語の題名。鳥の名です。たまたま出会ったそんなに親しくも無い友人が「連れ」に加わり 殺して食べようという提案に逃がすつもりで岡田が投げた石が当たってしまいます。獲物を隠し持って3人で歩く彼らに もちろんお玉は為す術も無く 見送るだけです。そして結局二人は何も繋がらないまま 岡田は海外留学に行ってしまう、というのがあらすじです。

大変面白く読み進めたのですが、後半で一瞬 読書の勢いが止まります。語り手が「僕」、文体の雰囲気がころりと変わるのです。あれ、僕?僕って何?、違和感はぬぐえません。
そこでやっと思い出すのは 冒頭は「僕」(=最後に「サバの味噌煮が嫌いで岡田を外食に誘う友人」が語りてだったのです。そして、お玉の素性、妾の生活を始めるまでとその後を語るのに、章を新たにして お玉と末造を主人公にした「物語」が三人称で語られます。そこでは「僕目線」はすっかり影をひそめているし、「僕」が知るはずもなさそうな細かな状況が 実に生き生きと描きだされているのです。読者はその内容と表現の面白さと登場人物の魅力に引き込まれてしまうので、語り手だったはずの「僕」の存在すっかりを忘れてしまいます。

確かに「雁」を捉えて「帰り道」を図らずも邪魔した友人はいきなりの登場なので、更に「サバの味噌煮」の彼まで いきなり出てきた登場人物ではあまりに物語の都合上すぎるとは思います。
その上 誰かにつっこまれたから言い訳するみたいに、語り手の「僕」が何故そこまで語れるのかという説明に「岡田から聞いた話」「岡田の様子」だけでは説明がつかないからか、「のちにお玉と知り合うきっかけがあり(恋愛関係にはなっていないこともひとこと「説明」されています)聞いた話を合わせて物語にした」とされています。それでも 末造と妻の会話や妻の様子、末造の思ったこととかは聞くことはできないはずです。

この物語の構造についてきっちり考察される方もおられると思いますが 私は単純に、連載中に鴎外先生が筆が乗りすぎて最初の設定を忘れちゃったのではないかと思ってしまったのですが そんなことはないのでしょうか。熱心な読者とか編集者とかに指摘を受けて慌ててまた「僕」の語りに引きもどしたとか。で、言い訳もつけてみたけど説明しきれてない、とか、ね。


ただ、聞き語りの体を辞め、「僕」がなりを潜めた方が物語の進み具合もスムーズだし、その間に地の分で語られる「女性観」とか「人間観」とかが すんなりと読めて面白いです。普通に鴎外先生(「僕」ではなく)、人間観察が鋭いなと 感心させられます。

題名の「雁」についても あまりに巻末にいきなりの登場で 何故それが題名なのか首をかしげないではないのですが 当時の読者に共通した「雁」のイメージがあるのでしょうか。(ある、という説明をしている人もおられます)。それを知っていたらこの物語の伏線的な「意味」を題名が担っていることになりますが、今の読者に伝えるとしたら 先の会話や物語の状況の中に、何か「雁」について語る場面でも欲しいところです。まあ、それは言っても仕方無いことですね(昔書かれたんだから)

ともかく、物語の構造なんて、途中であれれ?と思ったことなんて 関係ないくらい魅力的な「物語」に仕上がっています。私は地元ではないので 土地勘は無いけれど、風情のある街をそぞろ歩いている気持ちにもなれるし、妾とか三角関係とか悲恋などという言葉をかぶせると想像できないような さわやかで明るい雰囲気の 美しい物語だと思います。


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# by nazunakotonoha | 2017-07-22 16:56 | 森 鴎外 | Comments(0)

童謡1

マザー・グースなど子供向けの「詩(童謡)」から触発された短編と 「ねむの木学園」の子供たちの絵のコラボレーション。不思議で楽しい相乗効果。



童謡〈1〉 (1982年)
  • 吉行淳之介_::_ねむの木学園の子どもたち
  • 指定なし
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書評
随分前に購入した本で、1巻のみ所有。内容は忘れていた。
「ねむの木学園」のこどもたちのカラフルな絵をふんだんに掲載した本で題名が「童謡」というだけにきっと子供向けの「いいお話」だと思っていた。が、大違い。いや「悪いお話」という意味ではありません。

病気で入院した少年が思いっきり痩せ(その表現は壮絶)、退院後の転地先で逆に思いっきり太り…という内容は この本で読んだ以外にも教科書か問題文かで読んだ気がする。立った姿が鉛筆みたいだったとか 見舞いに来た友達の言葉じりに今まで気が付かなかった悪意を感じるところなど 印象深い。

女子高の先生が知り合った男娼、「女の身体でないことが悔しい」と言うミサコさん。男の人の身体の状態で男性を愛する記述には時代と関係なく身体とこころの違和感に悩まされる人の 自分の身体ながらの消し難い矛盾のようなものを感じて切なくなり、「先生」の退職に花束を渡しに来る何の屈折もなさそうな女子高生との対比が興味深かった。

失恋した友人との男子二人旅で観たサーカスの話は、演者のさりげない仕草や目線に男女の関係を見て取ったり、美しい叔母と見知らぬ紳士との怪しい関係を少年が垣間見たり どれもどんでん返しやオチを用意したり むやみに感動や教訓を狙ったりした話ではないけれど、何か心に引っかかる物語ばかりでした。

最近 作品の新旧、国を問わず 短編集を続けて読んでいるのですが それぞれに違った視点 趣があって 面白いなと思います。


昭和57年第一刷…・絵を描いた「ねむの木学園のこどもたち」は今どうしているのかな。


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# by nazunakotonoha | 2017-07-07 17:00 | 吉行淳之介 | Comments(0)

まぶた

ほんの少しの偶然で、出会った人と過ごすいくつかの時間。
歪みやずれや奇妙さはごく普通の現実と隣り合っていて、ほのかな居心地の悪さと、静かな安らぎを読者に与える。



まぶた
  • 小川洋子
  • 新潮社
  • 420円
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書評

どの物語も小さな違和感を抱えている。

ファンタジーとか夢または 特定の登場人物のこころの病や歪みと捉えてしまうのは少し違う。
主人公や他の登場人物が、そういった「奇妙とも思える」出来事や、たまたま出会った相手の語る思い出話、
ささいな小道具に対して 読者と同じく少しだけ違和感を感じつつも、「受け入れる」からなのかもしれない。

そして読者もまたそういう小さな「歪み」や「奇妙さ」「不気味さ」を抱えた作者の世界に 惹かれ、
やがてはここでしか得られないような「居心地の良さ」まで感じてしまうのだ。

飛行機で隣り合わせた異国の老婦人は亡くなった日本のペンフレンドを訪ねたという。
ペンフレンドの写真は本人とは違う俳優のものだったけれど がっかりしたり怒るわけでもない彼女の挿話はほほえましい。
でも小さな老婦人に合わせて 持ち物や食べ物まで小さく見えるというその様子やカバンから出てくる沢山のものの羅列などが
微妙な非現実感を、そしてその後 彼女が異変をきたし、隣り合わせて話を聞いていたただけの関係のその男の腕で息絶えてしまう
展開は 日常的な感覚だけでは捉えきれない。

認知症の人たちのアコーディオンの音が響く狭い路地の「お料理教室」には 排水管掃除の業者がやって来る。
詰まった汚物(野菜の切れ端やタコの足といったもの)がどんどんシンクに逆流して溜まっていく。
そういったことすら 事件では無く、「当たり前」のような風景となる。

野菜売りのおばあさんにもらった不思議な植物はやがて発光し出し、訪ねて行ってもおばあさんの住んでいるはずの場所には
家も畑もない。

背泳ぎの選手の弟は狭い隙間がお気に入りだ。やがて彼は片手を上げた状態で下すことができないままになり、
水泳を諦めざるを得なくなる。その腕の「結末」。

匂いを収集する恋人は さまざまな匂いとその素となるものをビンに詰めて保管している。その匂いと素の細々とした記述。
偏執的とも感じられる収集の中に見つけたもの。

ふとしたことで知り合った少女と中年の男性はささやかな逢瀬を重ねる。彼の家のハムスターは病気で「まぶた」を
手術で切り取られ目をつぶることがない。

異国のそっくりな双子の老人は支えあって生きている。足の悪い弟の方はずっと家から出ることがない。
ナチスの迫害と家族の離散、自分を責め続けた父親 父の開業していた医院とその後 兄が開いていた花屋の思い出。

どの物語もめったに出会うことのない(全て「有り得ない」と言ってしまうことはできないと思う)出来事ばかりだけれど 
他では見られない細かな描写やアイテムが、また、空想と現実の混ざり具合や配分が 時間に置き去りにされた細い路地に
迷い込んだような小さな不安感となつかしさを感じさせる。

この短編集では「旅」(初めての場所を訪ねるというのも含め)が扱われているものが多い。日常の生活場所と、
いつも傍にいる相手から空間的にも精神的にもへだたりを持ち、旅先で見知らぬ人と出会い、過ごす。
未知の詩人の女性の住まいだった「記念館」に入り、故人が過ごした場所でその家の主の生と死を 存在と不在を
肌に感じる「詩人の卵巣」の主人公のように、読者もそれぞれの物語の中で、見知らぬ相手の生と死や、
不思議な植物や持ち物に寄り添いながら過ごすのだ。




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# by nazunakotonoha | 2017-06-17 11:46 | 小川 洋子 | Comments(2)

雨・赤毛

「永遠の」「美しい」愛だ恋だ、も 「神聖なるものへ導く」者も 冷めた目線で皮肉って。

雨・赤毛
  • サマセット・モーム
  • 新潮社
  • 380円
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書評

この本に収録されている「雨」「赤毛」「ホノルル」の3つの短編は「南洋もの」というモームの作品のひとくくりに入るそうだ。

「雨」では船旅の途中で南洋の小島に足止めを食らい、そこでしばらく暮らさざるを得なくなった西洋人の二組の夫婦が中心だ。

別の文化を受け容れず、南の島の現地の人々を見下しているさまが 牧師夫妻と医師夫妻の(主に牧師夫人の)会話で浮き彫りに
なっていく。西洋人の、宣教師夫妻の振りかざす「正しさ」が会話の端々に鼻につく。
もちろん作者のこれらを見つめる冷めた視線も判るので 作品に対しての不快感は無い。お高くとまって何様だよ、ってな感じで
鼻で笑いつつ 作者が登場人物に好きにしゃべらせている、そんな感じ。

激しい雨が降り続く中 好んで滞在するわけでもない 彼らのじりじりした気持ちが物語の「嫌な感じ」に拍車をかける。
そこへもって もう一人同宿の女が問題となる。夜な夜な大きな音で音楽を掛け、男を部屋に入れてよからぬ遊びをしている様子。
牧師夫妻には許しがたい女だ。
女を更生させようと使命に燃える牧師。言うことをきかない女。

牧師は手を回して、行けば収監される恐れのある「強制送還」までにこぎつける。女が全然悔い改めないからだ。強制送還だけは
許してほしいと牧師に懇願するも頑として聞き入れない牧師。意気消沈し、派手な見た目もすっかり様変わりした女の姿に医師も 
そこまでしなくても、と 少し同情的にもなる。

牧師は心身疲れ果てやせ衰える程 必死で女の「更生」に祈りと説得の毎日を費やしてきたようだった。神の教えを信じ、
自らの「正しさ」を疑わず。

だが結末は意外に皮肉なこととなる。
どこで何が起きていたのか、どこで何が曲がっていったのか 物語は語らない。
女のひとことで想像させる結末への展開。でも その想像が本当に合っているのかは解らない。

「赤毛」も更に皮肉な話となっている。

船長が訪ねた白人は、「変わり者」で、現地で妻帯し本に囲まれて暮らしている。
でっぷりと太った白髪の船長が 彼から聞かされる話は 「レッド」と呼ばれた白人の赤毛の美男子と現地の美しい女との 
運命的で情熱的な至上の恋愛話だ。
その男女が離れ離れになった後 その美しさと悲しさに惹かれて結婚したその男は結局 「レッド」との思い出にさえ勝てず、
妻への辛い片恋をし続けているという それはまた「美しくも悲しい」話だ。そんな話の落としどころが解らないまま読んできた
私が鈍いのか すっかりラストで驚かされていまったのだ。

恋愛なんて、永遠なんて、こんなものさ、と軽く蹴っ飛ばされたみたいな感じだ。

なるほどね、歳月はいつまでも美しい者や美しい話を、そのままにはしておいてくれないということだ。


「ホノルル」

これも現地人の美女が出てくる話。冴えない船長がぞっこんなのは解るが 一緒に船に居る彼女の方もそのようだ。
そんな船長が美女をめぐり呪詛に遭い死にかけたという話を主人公が聞かされる。

西洋医学では治療しようがないその病を 現地の医者(呪術師?)が診て、呪いを解いて相手を倒す方法を女に示し 
見事彼女が船長を窮地から救い出す。なかなかスリリングでドキドキする展開だ。

2作読んだ後なので このままでは終わらないことは想像できる。そう、ちゃんとどんでん返しは用意されているのだ。

物語の筋とは 関係ないけれど中国人、フィリピン人、西洋人、現地人、日本人それぞれの様子を記述したところが面白い。

全体を通し 国籍も職業も老若男女も関係なく また見た目の美醜にも差別なく 作者の冷めたシニカルな目線は注がれる。
これって案外、作者の「人間愛」なのではないかなと思うのだ。

今度は有名な「月と六ペンス」を読んでみたいと思います。

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# by nazunakotonoha | 2017-06-17 11:37 | 海外の作家 | Comments(0)

卵の緒

このこどもたちが幸せなのは ぶれない生き方を貫く母の愛情があればこそだと思う。


卵の緒
  • 瀬尾まいこ
  • 新潮社
  • 420円
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書評

不思議な本だ。
2作を読み終えて 頭を整理すると色々な問いと答えが出てくるのだ。

1作目、「卵の緒」。

簡単にあらすじを纏めてしまえば 血のつながりの無い母子が仲良く暮らしているところに、新たに母の伴侶となる男性が加わり 仲良く暮らしていく話である、となる。
加えて食事に呼ぶのをきっかけにして少年が好意を感じる不登校のクラスメイトとも 友情を深めるという話だ。

この物語には美味しいものがたくさん出て来る。働いているお母さんだが料理には手を抜かない。そしてその美味しくできたものを「好きな人にたべさせたい」。「食べさせたいと思う相手が『好きなひと』」なのだ。
何の波瀾もないといえばないのだが 育生が母から聞くこの母子関係の成り立ちや さらっと子供に告げる母の恋愛の発展具合や 3人で囲む初めての食卓や その後再婚で苗字の変わる少年の事情や そういうことって 大波乱を引き起こしてもおかしくないことなのだ。実のところ。

だけど大丈夫。息子はグレないし 母の恋人は感じが良いし 何となく仲良くなっていきそうだし、弟か妹が生まれても この「家族」は幸せに暮らせそうだ。
深刻なドラマにもなりそうな背景を軽やかに乗り越え、ほんわかした平和な温かさに満ちた物語に仕上がっている。

2作目 「7's blood]
「卵の緒」が 血のつながりなんて関係ない 相手を想い大切にする気持ちだけで繋がれる、と謳いあげるのに対し、「半分血の繋がっている」異母姉弟の話で、恋人より友人より「少しでも血の繋がりがあること」の温かさを 姉の七子の心の紆余曲折を経て感じさせている。


2作に共通するのは 小学生の少年。 

卵の緒の育生は本当に素直でしっかりした子だがものの感じ方はまだまだ子供だ。自立すべきところは自立しひとを想いやることができる子供。このマイペースで個性的でありながら一本芯の通った母に 愛情をしっかりと受け育っていることが解る。
7'S Bloodの七生は苦労人だ。そもそも「愛人の子」で今母親は服役中。虐待を受けたこともあるようで、母も寂しくなると彼に依存する。そんな環境の中 「子供だから一人じゃ生きられないから」と彼が身に付けたのは「素直で可愛い」「人懐こくて優しい」大人に人気のこども。

だがこの物語に高校生の姉 七子の目線が入る。

「卵の緒」ではそのままで良かった少年らしさがこちらでは見事に「うそくさい」と嫌われる。
それは水商売の母から教わった「大人の相手を気分よくさせる会話術」の話からも解るように 相手(主に大人)を喜ばせて気に入ってもらう「生きる術」。そういうものを身に付けざる得ない環境で育った彼に 初めて七子がもっと本来の「こども」であれと 声を荒げるのだ。

そんな一件から 一旦入ったひびが 時間を掛けて少しずつ修復され 温かな「血」の絆に変わる。相手を喜ばす「気遣い」を一蹴され、渡せないまま腐ったバースデーケーキを 結局は一緒に食べ(腐ってるんだよ!)、彼氏とのデートを切り上げ 弟とのアイスクリームを選び、真夜中のパジャマのままでの行き当たりばったり「旅行」。夜の闇と野犬への恐怖をやわらげてくれた小さな弟の手。母が 愛人の息子を一時的にでも引き取り、七子と暮らさせたのは こういう「確かな温かさ」を心の支えにするためだったのだろう。


血のつながりなんかなくっても、が1作目、半分でも繋がる血は確かな温かさを約束してくれる、というのが2作目。

「卵の緒」にももっと別な目線が加わると変わるものもあるかもしれない。もう少し育生が大きくなると 新たな人間関係で悩むこともあるかもしれない。半分血のつながった妹との温かな絆を 支えに感じることもあるだろうか。

それでも 大丈夫、と思えるのは どちらの家族の物語でも母が強く優しいことだ。常識的じゃなくても 病気でずっとは傍に居てくれることができなくても、生き方が考え方が、真っ直ぐでブレないことだ。こどもへの愛を言葉で態度できちんと伝えるところだ。
こんな 大人がそばにいれば こどもはちゃんと育つ。

母よ、愛だぞ、愛! 駆け引きじゃなく格好つけもせず、おおらかで確かな 大きな愛!

それが この1冊から私が受け取ったメッセージだ。
 

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# by nazunakotonoha | 2016-12-03 20:44 | 瀬尾まいこ | Comments(0)

夏の庭

その夏、おじいさんの庭で得たものは 思いやる気持ち、ほのかな将来の夢、そして「あの世の知り合い」。



夏の庭―The Friends
  • 湯本香樹実
  • 新潮社
  • 420円
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書評

久々に読むことで 色々思うことがある。忘れていた部分は どうして忘れていたのかとか。あちこちで見る「あらすじ」にも出てこない部分は 物語にとってさして重要ではないのかとか。

映画も観た(これもうろ覚え)ので、印象に残った井戸や蝶が映画だけのものだったことや 登場人物と人間関係、エピソードの変更は 映画監督にとってどんな意図があるんだろうかとか。読んでいる時は夢中で 引き込まれ、すっかり小学6年生男子の気持ちだったけれど、読み終えてそんなことを考えたりする。


身近で親しくしているひとの「死」に初めて接するのは この頃の子供では何歳くらいが多いのだろう。この物語の少年3人の内ひとり 山下くんがお祖母ちゃんのお葬式に行ってきたことから話は始まる。生きている間ほぼ会ってもいないということもあり、その山下くんでさえ「死」について、いや「大切なひとりの人を失うということ」が解らない。そんなことがきっかけで 3人は近所の老人を見はって「死ぬのを見届けよう」「死体というものを見てみよう」ということになる。

へたくそな「探偵ごっこ」はやがて 本人にばれるのだが、その経緯が何ともほほえましい。
おじいさんに近づく動機がとんでもないから余計に、少年たちの気持ちの変化が 心の成長が目覚ましいのだ。
そして おじいさんも変わっていく。子供たちが見ていることに気づき、気になり、すぐに受け容れるわけでもないけれど 関わりを持っていく。ひとりきりの生活に きちんとしたリズムが生まれ、自分の衣食住を立てなおして行く。溜まったゴミを片付けようとした 少年たちを一旦拒否するものの、洗濯ものを干すために庭に紐を張るのを手伝わす。
やがて 老人と少年たちの心は繋がっていくのだ。3人はちゃんとひとりひとりとして、「おじいさん」はただの「年寄り」からひとりの大事な友人に。


荒れた庭の雑草をとり 皆で種を撒いた。コスモスの種だ。スイカを食べた、切る前に包丁を砥いだ。もう果物の剥き方だって解る。
家を修繕した。ペンキだって奇麗に塗れる。
台風の日は 相手の心配をした。誰かと誰かの家の無事を真剣に案じることなんて今まであったろうか。
戦争の話を聞いた。そこに居る相手が心に深い苦しい思いをしたことを知った。戦争は教科書に載っている昔だけの話ではなくなった。大事な相手を今も傷つけているのだ。

実はおじいさんには 戦後戻ったことも知らせずにそのまま会わないでいる奥さんがいる。その話を聞いた三人は珍しい苗字を手掛かりに 奥さん探しを始める。(電話帳に多くの人が番号を載せる時代だからできるのだけれど)。

奥さんを探せておじいさんに会わせられたのか、結局おじいさんと会ったのは誰かというところが 本と映画の違うところだが、私はこの本での少年たちの彼らなりの悪あがきと それに関わってくれた女性(おばあさんではあるが 奥さんとは別人)、彼らの失敗と反省と得たもの、おじいさんの静かな優しさと寂しさ、厳しさが伝わるエピソードだと思う。物語的に「解決」や「感動の再会」ではないにしても。

細かい部分は忘れていたのだが、三人の家庭環境による寂しさや屈折。「死」や「怖れ」についてのそれぞれの幼いなりに思ってきたこと。山下くんがプールでおぼれかけ「死」に近づいたこと、

そしてサッカーの合宿での妙に長い「怪談話」。
怪談話をしたのはサッカーのコーチのおばあさんなのだけれど、そういう「お年寄り」についても少し 見方が変わったこと。友達を守るために卑怯な相手とは喧嘩も辞さないということ。少年たちの一夏での成長は それ以前の様々な幼い経験や感じ方を描くことで よりくっきりとするのだろう。

映画のような「救い」やファンタジー的、象徴的な美しいシーンは無いけれど それでも十分 少年たちの成長と得たものは伝わるし、おじいさん自身も彼らと出会って沢山のものをその心に残したことが 読み手の私にも嬉しくて 本を閉じてもきっと 思い出す度に胸の奥から温かくなれる。


ひとはいつか死ぬ。子供だってずっと子供ではいられない。だけど誰かと繋がってその心に何かを残せたら そのひとの人生は無かったことにはならないのだ。

せっかくみんなで奇麗に直した家も無くなり、コスモスの咲いた庭も駐車場になってしまったけれど、君たちは絶対忘れないよね、おじいさんと過ごした時間とこの庭のこと。

そんな風に私も忘れられない季節を、大事な場所を持っていたい。そして その場所からまた、次に来る誰かに何かを残したいと思うのだ。何か 凄くおじいさんと3人に「有難う」を言いたい、そんな物語だ。

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# by nazunakotonoha | 2016-09-18 08:04 | 湯本香樹実 | Comments(0)

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー

女性だけの「サド侯爵夫人」、男性だけの「わが友ヒットラー」。舞台装置の転換も、小道具もほ
とんど使わず 語りが全て。登場人物のバトルでもあり、作者と役者とのガチバトルでもある。


サド侯爵夫人・わが友ヒットラー
  • 三島由紀夫
  • 新潮社
  • 420円
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書評


サド侯爵夫人

サド侯爵夫人のルネ、その母モントルイユ夫人、妹アンヌ、、訪問客サン・フォン伯爵夫人、シミアーヌ男爵夫人、家政婦のシャルロットが 3幕で入替わりはするが、全ての登場人物だ。

「サド」と言えばもう どういう趣味嗜好の人なのかはみなさんご存知だろう。
史実をもとに、家族以外を創作の人物で作り上げた世界だが、作者の脳内だけで 作者とは時代も国も違う女性たちの心理、裏表の顔を創り上げ、表に投げ出される「ことば」のみで見せていく。その実に鮮やかなこと。

サド本人は逃亡、投獄などで3幕とも登場しない。その罪状、所業については女性たちの言葉からそれと知れるのだ。

「貞淑な」妻のルネは、そんな夫の趣味嗜好 罪までも受け容れるかのようで、家柄や体面、常識を重んじる母は そのためなら他人を使い、肉親を騙しもする。

奔放なサン・フォン夫人はサド侯爵に親しみさえ覚え、その言葉に耳をふさいで神に救いを求める「敬虔な」シミアーヌ男爵夫人は、サド侯爵の幼馴染として彼の行為に「良心」を探してみたりする。耳を塞ぎながら結構ちゃんと聞いている彼女の行為は「良識的」をきどった 実はゴシップ好きの現代にもいる女性のようでもある。(3幕では彼女はすでにちゃんとした修道女になっているのだが)

妹のアンヌは自由で その残酷な素直さで、姉の夫と逃亡を共にし不実なことをさらりとやってのけ 姉の前でもそれを隠さず恥じることもない。

ともかく3幕ずっと 壮大なる口喧嘩だ。そして全てが体面する相手に投げる言葉となっている。
(「心の声」的な独白はおそらく無かったと思う)

怖ろしく長いセリフが延々と続き、どんなにか役者泣かせだろうと思うのだが、「YouTube」で公開されている舞台(新妻聖子主演)は衣装も一見の価値があり、全て驚くほど見事に演じ切られていた。
他にも男性だけで演じられた舞台や、蒼井優の主演のものも機会があれば観たいと思う。


年老いてくたびれた姿でやっと解放され、戻って来たサド侯爵は 驚くほどあっさりと見捨てられる。舞台には一度も登場しないままその輝きは消えうせる。侯爵夫人ルネは 侯爵と会おうともせず、修道女になる決意を固めるのだ。
ルネにとってサド侯爵が「獄中の夫」であることが そんな夫を献身的に支えるという自分自身を愛するために、必要だったのかもしれない。

ルネが大事にしてきた「献身」や「貞淑」を、獄中で書きあげた著書の中でだたひたすら不幸に陥れたことだけが この結末を引き起こしたわけではないかもしれない。




わが友ヒットラー

ヒットラーを親友として信じ、「粛清」されてしまった軍人の話。というのはちょっとまとめすぎかもしれないけれど。
単純な筋肉バカ 友情を熱く語る軍人のレームを 結局のところその「親友」ヒットラーが切り捨てた事件の話。


男性ばかりの作品で 内容も難しい。舞台は華やかさには欠けるし 冒頭がヒットラーの演説と政治経済絡みの客人の会話を交互に聞かせる演出だが サド侯爵について語る貴婦人方の会話に比べとっつきは悪い。

単にヒットラーよりサドを語るご婦人の会話に 私が魅かれてしまったせいなのだが もっと歴史的な経緯を解っていたら よりこの戯曲も面白く読めたことと思う。



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# by nazunakotonoha | 2016-09-06 20:06 | 三島由紀夫 | Comments(0)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

ひとつの謎の真相を追って旧友を訪ねて歩く。そんな形なので 読みだすと止められない。
謎だらけで終る。これは無い、と思いながら「何故」「誰が」を考えて長く引きずってしまう。


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
  • 村上春樹
  • 文藝春秋
  • 1785円
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書評
謎の多い話だ。

主人公は多崎つくる(「作」という字を彼の父は選んでつけている。)。
彼は高校時代男子3人女子2人のグループにいたのだが、彼だけ東京の大学に進学先を選び 慣れ親しんだ名古屋から離れた。
どんなに距離が離れてもこの5人の関係を大事に思っていたのに、20歳のある日 急に彼だけ4人から付き合いを拒絶される、理由は全く解らない。
電話をしても出てもらえず、電話に出る彼らの家族からも不在ばかりを言い渡され、やっと話せたひとりからは「理由は解るはず」と言われ 絶縁されるのだ。
確かに悩むだろう。自殺を考えるほど追い詰められ、病んでしまったとしても仕方ない気もする。こんな状況では。
「何でなのかちゃんと説明しろ、何も思い当たることはない」とその場で頑張れればいいのだが、自信の無さとプライド より傷つきたくないという気持ちに阻まれてそれ以上何も言えない。

「色をもたない多崎つくる」。
色というのは単純にグループの4人に「赤、青、白、黒」の色が姓についているということ、そしてそれをニックネームにしていて、つくるだけが同じでないこと。
苗字なんてその人のせいじゃないし それに色がついてるとかついてないとかで個性があるとか無いとかいうことはないのだけれど、彼は思ってしまったわけだ。
皆には「色」がある。それぞれが誇れる特技や特徴がある。僕には何もない。本当はそんなことなかったのに。


多くの未解決な物事について「推理小説」として読み解くアプローチもあるという。

推理小説だとすれば、「シロ」を犯した真犯人や何の手がかりも残さず彼女を殺し得た人物、そしてつくるの今の恋人が笑顔で接していた50代(?)の男性は誰でどういう関係なのか、姿を消した友人灰田、灰田の話に出てきた不思議な「緑川」、灰田とのあの「夢」は本当に「夢」なのか。推理小説として読み解くならば、読者の知り得ない人物がいきなり「犯人」では困る。なので、グループの内部や僅かに記述のある親兄弟の中で「犯人」探しをするようだ。全ての細部にもヒントが隠されているはずだ。

私の読みでは足りないかもしれないので、まちがいもあるとは思うが自分なりに これならという説明をしてみたいと思う。以下勝手に作ったサイドストーリーまがいなので、信用はしないで読み流してほしい。
私は推理小説風な解決は求めていないので 誰も知らない人物が「レイプ犯」、「殺人犯」であっても一向に構わない。
シロの死が「自殺」で遺書が謎を解く筋なら 陳腐かもしれないが読者はすっきりしたのにと思うが 解っていて作者があえてしなかったのだろうから 仕方ない。
友人3名の話に嘘はないとする。言い切れていないことがあったとしても。

でなければ クロとフィンランドまで行っての邂逅で得た癒しと許しの感動が全てダメになる、それは避けたいのだ。(ハグした時の「乳房の感触云々」は余計な気がするが)クロが「つくる」の個性を肯定し、つくるは「空っぽ」なんかじゃない、もし「空の器」が彼だとしてもと その可能性について言ってくれる言葉はかぎりなく優しい。
 
だから、繊細で潔癖すぎていどんどん病んでいったのは「ユズ=シロ」だ、という所で私はまとめたい。
クロのつくるへの恋愛感情や他の男子の気持ち、もしかしたら美少女ゆえに 高校時代から「知らないところで」告白されたり接近されたりしたかもしれない。卒業してからも、心を病んでしまってからでも寄ってくる者はいたはずだ。
産婦人科医の父が堕胎を手助けすることを嫌悪し、性的なものに激しい拒否反応を覚え、恋愛を差し挟まない5人の関係を頑ななまでに愛して守りたかったのではないか。もしかしたらクロがつくるに告白すると言い出す前に、あるいは誰かが恋愛をもちこむ前に それを阻止したかったのではないか。

知り合いかあるいは通りすがりの男に襲われたことを 咄嗟に「つくるに無理やり襲われた」とクロに告げたのうはクロをつくるから遠ざけたい気持ちから出たのかもしれない。実際東京につくるにそれを言うために会いに行こうとして起こった話だったのかもしれない。
つくるを傷つけることや5人の関係が崩壊することまで考えが及ばなかったのか、それとも全てを壊してしまいたかったのか。

そしてシロの闇は更に深まり流産を経て死へと自分を押しやって行く。形跡を残さないように自ら仕組んだ嘱託殺人かもしれない。では誰に?
けれど 一人のひとの人生がいかに閉じているとはいえ、死ぬまで関わった相手がこの数人だけというのも現実的ではない気がする。(小説上ではありえるけれど)

つくるの恋人の沙羅が自然に微笑みかけていた男性について、彼女の言う「3日待って」の意味は気になるところだけれど(確かにシロの姉と同じ年齢ではあるけれど)、あまり深読みする気にはなれなかった。沙羅という女性との出会いと関わりには何の裏も無く、最後の「疑惑」についてはつくるが一人の女性をちゃんと求めたいと、自分に向き合いどんな障害があっても弱い自分をさらけ出しカッコ悪くても恥ずかしくても相手に気持ちをぶつける、そのきっかけだと そんな風に思うのだ。(にしても 最後の最後で思わせぶりな書き方ではある)


最終章は要るのか、灰田の存在と緑川のエピソード、6本目の指の話も 色々思うところがあるのだが、どうももう一度読み返さないと解らないことが多い。
謎や伏線をあえて回収せず放り出した作者の意図は「納得するまで読んで」「色々考えろ」ということなのかもしれない。


いつものように 凝った比喩やお洒落な背景、音楽、車、リッチな環境。カッコ良すぎてよく解らない会話、そして あからさまでミもフタもない性的描写。ここをクリアしないとこの作家さんは読めないのだな、と改め思う。
こうやってその辺を省略してあらすじを纏めてみると確かに深く心に残り、また悔しくも「やられた」感がひしひしとしてくるのだ。


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# by nazunakotonoha | 2016-08-28 22:05 | 村上春樹 | Comments(0)

ハーフ

ぺットだって大事な家族ね と保育園の先生も後で認めてくれた。けど、それは全然違うんだ。ヨウコは宮田祐治の「妻」、真治の「母」だ。少なくともそう、教えられて真治は育ったのだ。
短くてすぐに読めます。いや短いせいじゃない。ぐいぐい引っ張る勢いと先を心配させる展開があるせいですね。

父子家庭の真治はお父さんに「ヨウコがお前のお母さんだ」と(比喩でも何でもない調子で)言われて育ってきた。ヨウコは茶色の毛の雑種のメス犬だ。

大人があえて教えなくても、サンタさんはいない、と子供がいつしか知るように それでも共有する「ファンタジー」として否定せずにいるのと同じように、いや、もっと切迫した想いで、真治は「ヨウコ」を「お母さん」にしたままでもう6年生になった。

もうすぐ中学生。「この犬は妻」(しつこいが、「比喩」ではない)と言ってはばからないお父さん。生まれてから 一度もお母さんに会ったことがないとはいえ、お父さんの気持ちを理解して認めるほど真治は「大人」でもなく、まともに受けて信じるほど「子供」でもない。
もう解っているんだ。解っているけれど、今の2人と一匹の「家族」の平和を壊したくない。否定して、真実を教えろと迫って、幸せな結果になるとも思えない。

お父さんが本当に壊れているのかも よく解らないのだ。真治も冷静な読者でさえも。

ただ、散歩で会う愛犬家たちの犬に対する「家族扱い」と、明らかに違うことは真治が一番よく知っていて、どこで一線を越えた言動が お父さんを「頭のおかしな人」にしてしまうかを 常に心配していることで、読者も解るのだ。お父さんのぎりぎりの不安定さ。危うさ、もろさ。
お父さんのいとこの良子おばさんの心配、意地悪なクラスメイトのからかい。そしてヨウコが行方不明になった時のあまりの取りみだし方。



普通の家族なら、いや普通の「父子家庭」なら、こんな悩みはなかった。
真治の気持ちの屈折はリアルで、痛いほど伝わって来る。
心配してくれるおばさんへの「子供らしさ」を装った対応も、お父さんへの気遣いも、学校での嫌がらせに負けまいとする姿も、強くて悩みのなさそうな女子「三浦」への反発も。


ヨウコの「家出」事件で、お父さんの心の不安定具合が露わになり、真治の本音が吐き出され、またそれで悩む。三浦さんが家族の支えともなる関わりを持つことになるのだが、真治は彼女の良さや彼女の優しさが解るにはまだまだ子供だったし 自分の家の悩み以外には想いをはせる余裕も心の幅もなかったということなんだろう。
 
そして良子おばさんが知る「真実」と向き合う決意。もう「子供らしさ」を装ったりしない。真治の大人への出発でもあり、新たにおばさんという助けになる大人とちゃんと向き合って付き合えるきっかけでもあるだろう。


やっとヨウコは見つかるのだが、その後は悲しい。動物の寿命は短いのだ。決別のときはやってくる。そしてその時が、本当の意味での「ヨウコさん」とお父さんの別れであり、切ないけれど「現実の父子家庭」のスタートなのだ。

強くならねば、と思う。
親は自分の悲しみも迷いも自分で受け止め、更に子供の悲しみも支えて、心の穴を埋めていかねばならないのだ。ただ、親だけがそうやって空回りして頑張らなくても こども自身もそのはかり知れない素晴らしい力と優しさで親の至らなさを非力なところを認めて助けてくれる。相手への愛情と信頼さえ伝われば きっと何とかやっていける、そうも思えるのだ。

一見子供向きのようでなかなか深くて手ごわい「家族」の物語だ。 


草野たきさんの「透きとおった糸をのばして」もダメなところも愛おしい「大人」を、若い目線で見る作品。大すきな作品です。


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# by nazunakotonoha | 2016-08-13 21:38 | 草野たき | Comments(0)

人質の朗読会

異国の山中の小屋で囚われの身となった人たちが順に語る人生のささやかな一コマ。誰にでもありそうで、そのひとにしか無い思い出の時間。



人質の朗読会
  • 小川洋子
  • 中央公論新社
  • 596円
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書評


異国の地、理不尽な暴力のために囚われの身となる日本人たちという設定が まず突飛な「物語」でもなくなってしまった現在、この話のレビューが簡単には書きづらく 書き出しで悩んでしまっていた。
こういう状況下、人質となったごく普通の旅行者たちが自身のささやかな思い出話を1つずつ 披露する。その内容を、仕掛けられた盗聴の録音テープから 後に他の人たちと読者が知る、ということになる。

手に汗にぎる救出劇やテロリストとのやりとりを含む事件の解決に向けての人間ドラマを小説にする作家もいるだろう。政治や思想を掘り下げて問題提起する社会派の物語を読みたい読者もいるだろう。けれど 小川洋子のこの作品はそうではない。「朗読会」の記述の前に 救出が叶わず、これらのひとたちが すでに亡くなってしまったことを知らされる。知った上で、その後の章ではたんたんと彼らが語る思い出話を「聞く」ことになる。

明日があるかどうか解らない囚われの身の状況で、本当にそんなことが行われるか、ということはここでは問題にしない。暴力や死への恐怖を紛らわすためか 意外と平穏な、だがいつ終わるとも解らない長い時間への不安を紛らわすためなのか、確かにこういうことがかつて行われた記録も無いだろうと思う。だが絶対あり得ない荒唐無稽な絵空事だと言いきってしまえるだろうか。

 世代も性別も仕事も違うそれぞれが きちんとした文脈で同じクオリティで 同じくらいの「ささやかさ」を持った思い出話ができるとは思えない。けれどここではそれも問題としないでほしい。語り口(文体)にはさほど個性を付けず、キャラクターを強く打ち出していないのもちゃんと解った上でのことだろう。
どの話もとっておきの感動話とかではない。家族や友人のことではなくほんのわずかな期間ふれあったと言っていいのかも解らないくらいの関わりの相手との儚い思い出話なのだ。
共通しているのは きっと、この人がここで語らなければ、誰も知らない、そんな話であることだ。

小川作品に流れる静けさと「いつか見た夢」のようなかすかな奇妙さ、わずかな歪みの部分がどの話にもある。
その製菓会社の作るビスケットの種類の羅列の中には 腔腸動物や内臓系があり、公民館の談話室で行われていた集会は「危機言語を救う会」で、他にも「溶鉱炉を愛でる会」や「空想動物写生同好会」で、片目のお爺さんが道端で売っているぬいぐるみは ムカデ、回虫、ヒドラもある、という。いつも色んな人の「死んだお婆さん」に似ていると言われてきたひとの話も不思議だし、隣人が台所を借りに来るのも 死者のためのスーツを買う葬儀屋さんも、そういう事態がたまたまあったとか 地域の風習があるとかいうことが絶対にないともいえないけれど 何となく不思議な空気と一抹の不安と落ち着かなさを 読者に与えるのだ。

冒頭からこの語り手たちが助からず、もうどこにもいないのだ、と解っているだけに この語られなければ忘れ去られてしまうような人や時間が、掛け替えの無い大切できらめくものに思えてくる。自分にもこんな思い出話が無いだろうかと、ゆっくりとした静かな時間の中で探してみたくなるのだ。

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# by nazunakotonoha | 2016-08-07 23:27 | 小川 洋子 | Comments(0)

Teen Age

10代の女の子たちのさりげない日常。すっかり過ぎてしまった私にも 少しだけ先に進んだ人にも ちゃんと心に響く7編の短編。作家陣も豪華です

Teen Age
  • 角田光代_::_瀬尾まいこ_::_藤野千夜_::_椰月美智子_::_野中ともそ_::_島本理生_::_川上弘美
  • 双葉社
  • 580円
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書評

10代を主人公にした短編を書く、というテーマを与えられたら どんなものを考えるだろう。

中学、高校がほぼ大半を占めるその時期だから、中学生、高校生の恋、友情、クラブ活動、反抗期、おとなへのステップへの不安や期待、そんな感じだろうか。

角田光代 瀬尾まいこ 藤野千夜  椰月美智子 野中ともそ 島本 理生 川上 弘美
7名の女性作家によるアンゾロジー。


角田光代「神さまのタクシー」

昔の人なら地元の名門、今は問題児や勉強のできない女の子の島流し的な場所でもある寮のある女子高。主人公と超真面目なルームメイト。憧れの「不良」の先輩が退学を余儀なくされ学校を去る日がやって来る。校則を破るなんてとんでもないという感じのハミちゃんを無理やりにでも連れて 主人公が先輩の見送りに行くシーンの疾走感はドキドキする程素敵です。


瀬尾まいこ「狐フェスティバル」

地域の子供たちが主役の伝統行事。クールな転校生の女子を 頭数欲しさに勧誘する「僕」。
田舎への移住者となんとなくかみ合わない地元民の話は 子供だけのことではなさそうだが、物語は中学生の少年目線で語られる。淡い恋までもいかないけれど とっつきの悪い転校生と少しずつ距離を縮めていく感じが微笑ましい。

藤野千夜「春休みの乱」
不思議な能力のあるという友達の小清水さん。知らない男子からラブレター(?)を貰った主人公。何が起こるというわけでもないのに面白い、思いだすと「変わった友達」だったなぁと懐かしく思う、そんな一編。

椰月美智子「イモリのしっぽ」
ホルマリン漬けに惹かれて生物部に入った幸野さんと後輩の矢守君。進展しそうでそうでもないふわっとした関係。生物オタクっぽい会話がずれてたり噛み合ってたり。喧騒から遠い二人っきりの生物室でちょっとだけいい雰囲気の会話。こういう青春もいいな、としみじみ。


野中ともそ「ハバナとピアノ、光の尾」
他とは少し色の違う一編。舞台はハバナ。主人公は現地の男の子。かつての恋人を探しているという日本人の女の子の手助けをするわけだが どうも彼女の言動や思い出と時間軸が合わないという不思議。
これといった種明かしもないがすれ違っただけの相手に一生懸命になる これもラストのスピード感や緊迫感とその後の余韻がとてもいい。
最初は日本のいまどきの普通の女の子の話でないことに違和感があって 馴染めない話のように思ったが、ずんずん引き込まれていった。いい話だなと思う。


島本 理生「Inside]
島本理生さんらしい話だなと思った。付き合っている相手と、好きだけどまだ触れたくない気持ち。開ききっていない心。揺れる高校生の女の子。彼氏は限りなく優しい。なかなかよく出来た心の広い男の子なんだな、この子。

川上 弘美「一実ちゃんのこと」
これもまた川上弘美さんならではの一編。予備校で知り合って友達になった「一実ちゃん」。なんとお父さんが作ったクローンだという。更にクローンの姉妹(?)がまだいるという突飛な彼女の発言で主人公の「あたし」は少し混乱するけれど、そこはなんとなく受け容れていく「あたし」。
クローンとして彼女は 考えたひとつの「大きな計画」を実行する。まあ そんなに世間を騒がすことにはならないが。


というわけで 7人7様の「10代」のお話。
色々あったようで何にもなかったようで でも懐かしくこそばゆい それぞれの思い出。
自分はどうだったかなぁなんて思いながら 豪華作家陣の作品を読み比べていくのも楽しい。


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# by nazunakotonoha | 2016-08-07 23:14 | アンソロジー | Comments(0)

最果てアーケード

どこかにある窪みには 「終ってしまった時間」はないのかもしれない。


最果てアーケード
  • 小川洋子
  • 講談社
  • 540円
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書評



かつて大火事で焼けた小さな商店街。
にせもののステンドグラスが嵌った短いアーケード。小さな中庭。
レモネードを貰える図書室。
火事のあともとに戻ったというけれど そこにあることを全く気付かずにとおりすぎる人もいるくらいひっそりとそこにあり、本当にそこをめざして来る人と たまたま紛れ込んだ人だけがやって来る。

周囲が時代に合わせて様変わりして 近代的になり奇麗で大きなものが立ち並んだせいなのかもしれないけれど、何だかそれだけの場所では無いような気がするのだ。

「窪み」という表現も出てくる。まさに「この世の窪み」。
ノブさんの店のドアノブのいっぱいの壁の中 ライオンのドアノブを開け その先にもある ほんの小さな窪みのように、身をひそめ泣くことも、一時「この世界のひと」でなくなることもできる。


そこにある店はどれも風変わりだ。亡くなった人が持っていたような古着から切り取ったレースを売る「レース屋」さん、剥製などの目を作って売る「義眼屋」さん、レース屋さんに取り次いで貰えるのはひっそりと営む「遺髪レース」作家さん。一種類のドーナツを作り続ける「輪っか屋」さん、誰かが誰かに送った古い絵葉書も扱う紙の店。引き取りはしないというのに遺品の勲章を持ちこまれては断れない 勲章の店。図書室で一緒に過ごしたRちゃんは病気で亡くなってしまい、その代わりにRちゃんのお父さんが通って来る。Rちゃんが読みたかった「百科事典」の最後の項目まで全て書き写していくのだ。

どの店も(ドーナツ屋さんは別としても) 過去の時間、亡くなった人との仲介をするような 深い「死」の気配を親しく持っている。自然に過去の時間と「死」と繋がっているようだ。

本の中で時間軸も行き来し、犬のペペの老いや火事の前後へ続く記述をちゃんと追って 時系列に並べれば この不思議な感じは解き明かされるのかもしれない。


漫画の原作として書かれたという情報と、絵柄を見ると 困惑してしまう。
冴え冴えとした、それでもどこかほの温かい酒井駒子さんの表紙のイメージを 私は持って読んでいたので。

さらっと読んで いくつか疑問が残る。漫画でははっきり描かれる「ネタバレ」を知ると更に あれ?と思う。
もう一度 読んで 書評の続きを書きたい。

「かつて居たひと」の気配を濃く残すものや場所について、今 私もちょうど考えたり感じたりしている。確かに それはこの商店街で扱われる様々なものと同じく とても「地続き」で深いぬくもりを持っている。

考えみると、物語の中では、全ての時間は同じように「今」になり、息を止めることもないのかもしれない。語り手の「私」や登場人物の「現在」がいつで、何歳であっても 語られているエピソードの「現在」こそ 読み手にとっては「今」なのだ。だから、再読して時間軸を確認し、「読み解いて」もみたいが、それでも だれのどの時間も(全ての遺品や古い品の使われていただろう時間も)「過ぎ去った昔」ではなく、静かに流れる「今」なのだ、と思う。





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# by nazunakotonoha | 2016-07-06 07:56 | 小川 洋子 | Comments(0)

ネバーランド

冷静に読もうと思ったが やっぱり「好き」が勝りました。はい。

ネバーランド
  • 恩田陸
  • 集英社
  • 540円
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書評
地方の私立男子高校の冬休み、実家に帰らないで寮で過ごす高校生3人。そして加わる自宅生だけど これもまた風変わりな家庭環境の一人。

繊細で知的。読み手の脳内では皆 それぞれのタイプの美形キャラ。
クリスマス、大みそか、正月を 他の誰もいない古びた寮で過ごし、家に帰らないというだけで、なにやら皆、訳ありなのは想像が付く。

美国は両親が海外赴任中。ピュアで少年っぽさがあり、いじられキャラ。女子に人気で爽やかな外見だ。
誰にでも公平で優しい、冷静なメガネキャラの光浩のめったに出さないけれどふとした時に見せる 暗い影を、美国は気が付いている。
豪快で明るいスポーツマンキャラの寛司は 親が離婚調停中という事情を抱えていて 大人への不信感を持っている。裏表のないタイプ。

その3人で 踏み込みすぎない微妙なバランスの共同生活が始まるはずだった。
そこへ介入したのが天才肌でハイテンションな統(おさむ)。
落ち着きが無く、どこか人を食ったようなふざけた感じの彼を光浩は嫌っている感じもある。

そんな統が自分の母の死について自分が関わっている、と告白を始めたことから彼らの微妙な「プライバシーに踏み込まない優しさ」の距離感が崩れ始める。

酒の勢いや酔いの中で(高校生だけど)またはカードゲームの罰ゲームという名目で、彼らはそれぞれの心に秘めてきた澱を少しずつ吐き出していく。それぞれがショッキングな秘密やトラウマや一般的とは言えない家庭の事情を抱えているのだ。

BL的だと言われる。
確かに男子高校生を美しく知的に描き、4人の中では恋愛感情は描かれないものの、死んでしまった病弱なクラスメイトが美国のことを想っていたというエピソードが挟まれる。

作者ももっとクールに「トーマの心臓」が書きたかったが、ほのぼのしたものになってしまった、と あとがきで述べている。萩尾望都の「トーマ」の世界にどっぷりハマった世代なら、書き出しから彼らの世界を重ねて読むだろう。(私もそうだし)。今、世に出回っている (肉体的にも)「想いが叶う」関係でなく、もっと切なくて淡くて届かない想いに 少女たちは男女間の恋愛には無い美しいものを見て胸をキュンキュンさせてきた。
だから4人は触れ合うことなく テニスの後並んで寝そべったり、一緒に土手を走ったり、そういう場面がこれでもかと出てくると キュン、とさせられつつ、萌狙いにいちいち嵌められた感も否めない。悔しいんだけど。

初めて読んだのは何年も前なので、今度はもっと冷静に読んで文句のひとつも書くつもりだった。
テニスのシーンやゲームのシーン、買い物のシーンなどは 人気アニメの引き延ばし、回数稼ぎのための「オリジナル脚本の回」に似た印象もある。確かにそれぞれのキャラがはっきり出るエピソードにはなっているのだが。

そんなことはさて置き、やはりどう見ても女子目線の美化しすぎな「男子高校生」ものだが、それが解った上での夢の世界、時折行ってみたくなる「ネバーランド」なのだと思う。


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# by nazunakotonoha | 2016-07-04 11:29 | 恩田 陸 | Comments(0)

焼けたトタン屋根の猫

家族内の愛憎劇といってもドロドロというよりカラカラ。ひりひりと焼けつくトタン屋根で「猫」たちはいらいらと落ち着かない。

やけたトタン屋根の猫
  • テネシーウィリアムズ
  • 新潮社
  • 460円
Amazonで購入
書評

高校生の自分がこれをどう読んでいたのか忘れたが、「ガラスの動物園」と共に実家の本棚にあり、好きな作家だったという記憶がある。久しぶりに再読。やっぱり面白かった。



ちょっと意外だったのは「焼けたトタン屋根の猫」という題名そのもがかなり早いところで何回も台詞に出てくること(勝手に台詞に出るとしても、最後あたりだと思っていたので)、ト書きが詳細で舞台化に対し相当な指定があること、なかなか「あからさまな」(訳者のあとがきでは「卑猥な」という言葉が使われていたが)表現がなされていること。
そしてちょっと違和感があったのは 屋敷の主を「おじいちゃん」、その妻が「おばあちゃん」と訳され、その二男子供のいないブリックやその妻、本人同士が「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び合っていることだ。(原作、映画では「big daddy」「big mama」だ)
 

「おじいちゃん」は実は、がんで余命が僅かなのだが 検査結果を周囲が誤魔化して皆でお誕生祝いに集まっている。おばあちゃんと本人は真実を知らない。

「おじいちゃん」は二男ブリックを昔から偏愛していて 長男グーパーは息子扱いもされていない。親子関係はとっくに破たんしている。
それも解った上でグーパーは妻と子供をぞろぞろ連れてきて、お祝いにつぎつぎと芸をさせる。夫婦してむなしい努力である。遺産狙いは間違いない。
そして父(おじいちゃん)に広大な土地や事業を譲りたいと思われている当のブリックはアル中で、夫婦関係は全くうまくいっていない。彼がアル中状態になった理由は妻のマギーとの会話、父子の会話からだんだん解ってくる。

かみ合わない父と息子の会話(幾多の経験をして理解もあり お前を愛しているという父、会話なんて成立したこともないといい頑なに親愛の情を受け容れない息子)老夫婦の共有できない気持ち(夫は妻を嫌っている、といい、妻はそれを全く呑み込めない)、兄弟の埋まらない溝(兄夫婦は弟夫婦を観察し盗み聞きし夫婦関係や弟の過去や現状に悪態をつく)
死んでしまったブリックの「親友」への想い。周囲の「理解」と「誤解」。
ブリックの言う、溢れる「欺瞞」。

各部屋がベランダを通じて行き来できる屋敷の構造のため、時折、それぞれの自分たちだけしか知らせない、知り得ないはずの会話中に他の人が顔をのぞかせる。話の中断と不穏な雰囲気。
完全に秘密にできないそれぞれの関係。


部屋の外からの声やベランダを照らす花火の輝き。騒々しさと華やかさと それに反する人間たちの冷たさと異常な熱さ。

当時の当地の「同性愛」への世間からの目がどうであったのか解らないが ブリックの激しい否定と嫌悪、否定しているにも関わらず父親が理解をほのめかすこと、その「親友」を追い詰めたのは妻のマギーなのか、それとも最後に拒否し無視したブリック自身なのか。アル中になり妻を疎んじ、誰にも心を開かないブリックの闇は深い。

「子供ができた」と先に宣言し、アルコールを手の内に、嘘から真実をつくりあげようとするマギー。真実を知らされ、実際に痛みと共に死が迫る「おじいちゃん」。
お互いを傷つけあうやりとりと駆け引き、「焼けたトタン屋根の上の」急展開も凄まじい。

なんだか嫌な感じになりそうな話ではあるが あけすけな会話と解りやすい人物像がドロドロというより悲しいくらいカラリとしていて、こういうのってお国柄もあるのかなと思う。
何より どんな酷いことばかり言い合っていても、本人たちは憎み合っていても、読み手(観客)には登場人物の身勝手も見栄も嘘も 案外愛しい愚かさに思えるところが この人の作品の良さであると思うのだ。


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# by nazunakotonoha | 2016-07-03 07:30 | テネシー・ウィリアムズ | Comments(0)

少女七竈と七人の可愛そうな大人

「可愛そう」なのは ほんとうの愛を得られないまま旅人になった「母」と、不本意にも美しく生まれたその子供、そして男たちのせいで不幸せな妻たち、それとも?

少女七竈と七人の可愛そうな大人
  • 桜庭一樹
  • 角川書店
  • 1470円
Amazonで購入
書評
父が図書館で借りてきた本には時々 あれ?というのがある。新聞の書評欄や広告で気になった本を次々借りているそうなので、たまに思っていたのと違うことがあるそうだ。今回は どうも父には文体が(内容ではなく)合わなかったらしい。15ページくらいで挫折したようだ。ちょうど読みたいと思っていたので拝借。
「父」に借りたというのもあって、内容が語り合えない程過激なものだったらちょっと困る。大丈夫かな、予備知識のないままページをめくる。

「辻斬りのように」7人の男と寝ようと思った教師の女性の章から始まるが 父が挫折したのはこの突拍子のない女性の決意とその後の行動を非難してのことではなさそうだ。物語の主人公として理解できるとか共感できるか、そういうことは別として。

この女の人の話でずっと続くのかな、それとも「少女七竈」というキャラクターが「7人の大人の男」を可愛そうなことにするのかな、と思ったのだがそういうわけではなかった。更に言うと このトンデモない女教師は早々に一章で自ら「語り」を退く。
その後は 父がどの「男」かはっきりしないまま とてつもなく美しく育った娘「七竈」、犬、幼馴染のこれまた美しい少年の母など 語り手を替えながら綴られる物語だ。
一章の女性の話でも文章内に性的な過激な描写があるわけではないので 苦手な方も心配ない。ただ、淡々と描かれる景色や空気の中 花の香りや月の様子に何故かどきどきさせられるのだ。


「七竈の木というのは七度かまどに入れてもなお燃えない」「燃えた後は良い炭となる」というのが母が同僚の既婚の男性教師から聞いた話で それがまずは全てのきっかけのようだ。
平凡な容姿を持った普通の人生を歩んでいた女教師が「狂い」だすのだ。

その嵐のような「辻斬り」の日々の結果 女の子が生まれ「七竈」と名付けられる。
少女は誰もが見つめてしまう程の「かんばせ」を持った美少女に育つのだが ずっと後にこの男の先生に「七竈の実」について語られる場面がある。
七竈の赤い実は苦くて鳥も食べないので そのまま残り 雪を被り やがて朽ちていくという。美しいままひとりで朽ちる「七竈」。それは少女のやがての決意に繋がっていく。誰もが知り合いや親戚のようなこの狭い狭い世界でただ朽ちるのは嫌だと。

美しい少女「七竈」と少年「雪風」が静かな電車オタクであるのが面白い。冷たく硬質な電車の模型に頬を寄せ、門外漢には暗号のように聞こえる車両の記号を語り、わざわざサングラスでその「かんばせ」を隠して二人模型の店に行くのだ。
「がたたん」「ごととん」と秘密の合言葉のように静かに言い続ける二人。「幼馴染」なだけのはずなのにその飛びぬけて美しい容姿は「血」の繋がりを認めざる得ない。
母が「寝た」男の中に その狭い地域では知る人も多い美しい男が居た。(今はその美しさも褪せて、妻を後悔させるだけのただの「馬鹿な」男なのだが)それが少年「雪風」の父親なのだ。

雪風目当てで七竈に近づく後輩の女の子もまた良い。七竈の古風な話し方や 風変わりな反応に、だんだん七竈自体に興味を感じ、結果「美しいふたり」を見ていたい、七竈に離れて行って欲しくないとまで言う。
七竈の「無関心」「無感動」にとれるその淡々とした態度は、その美しすぎる「かんばせ」のせいで他人から離れてじろじろ見られることに飽いてしまったこと、母の存在への渇望とその生き方への拒絶の間で揺れてきた寂しいこどもだということから来るのだろう。雪風だけが心を開く相手であった彼女に遠慮なく近づいてくるこの「後輩」の存在は彼女にとって嬉しいものであったのだろう。七竈の閉じた世界が少しこじ開けられた そんな気がする。


母親の「ふしだら」から始まるこの物語だが 最後にもう一度その衝動の理由が明かされる。だからといって娘の七竈の人生の意味が変わるわけではないけれど、そんな母の(迷惑な)行為さえ、いずれは一人の女性の生き方として七竈はそれも受け容れていくのだと思う。帰ってきた母とからかいぎみに相手をする七竈は幸せそうだ。

妻に「馬鹿」よわばりされる雪風の父を始め その他の男たちについては特に深く記述が無い。「可愛そう」なというのは書くに値しないほど「可愛そう」っていうことなのかしら、なんて思ってしまうのだ。




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# by nazunakotonoha | 2016-06-27 21:10 | 桜庭 一樹 | Comments(0)

ちょうちんそで

「架空の妹」と思い出をお喋りしながら暮らす。それで幸せかと問われたら難しい。

(2015.6月 「本が好き」サイトに投稿したものを転載しています)



ちょうちんそで
  • 江國香織
  • 新潮社
  • 529円
Amazonで購入
書評

最近 母が入院し、父がプチ一人暮らしになった。姉が両親それぞれの様子を見に、頻繁に帰省するようになり、姉妹の会話が増えた。
姉妹、一人暮らし、高齢者 ちょうどそんなキーワードがちらほらするので余計 印象深い物語であったと思う。 

冒頭から「架空の妹」という言葉が出てくる。その「架空の妹」と暮らす雛子さんは、高齢者向け介護付きマンションに住んでいる。が、「高齢者」という歳でもない。50代、ここではまだまだ「若いひと」だ。
あまりに何度も繰り返し「架空の妹」と記載されるので、もうそこは「飴子」さんでいいのでは?と思う。もう読者も十分解ったし。だが飴子さんがどうして「架空」なのか、実際に「居た」のか今はもう生きていないのか、なぜ「架空」なのか すぐには解らない。
雛子さんは常に(他人が介入してこない時はずっと)「架空の妹=飴子」と会話している。思い出話を語り、笑い、一緒に音楽を聴く。
飴子の方が性格がさっぱりしていて あけすけに物を言い、若々しく伸びやかで正直だ。隣の住人の男性が一人暮らしの雛子を気遣い、訪ねて来る時も 相手に聞こえないように(もちろん聞こえはしないのだが )毒づいたりもする。
「飴子」は消息を断ってはいるが実在する本当の妹だ、ということは読み進めていくうちだんだんと解ってくるのだが、雛子の一部であり「そうありたい」もうひとつの人格でもあるのだろう。


一人ぼっちで部屋にいると、独り言が増える。思い出のいっぱいある誰かと「会話」して暮らすことも それほど変なことでもない気がするし、そのことで寂しさを紛らせられ、笑顔にもなれるなら それもまたありなんじゃないかな、と思う。周囲に「少し頭がおかしいのかもしれない」と思われるかもしれないけれど。

雛子さんの話の章のほか、隣の夫婦の話があり、また誰?と思うほどいきなりに赤ちゃんのいる夫婦、その弟と恋人の亜美の話があり、そしてもうひとつ、海外暮らす少女と大好きな日本人学校の先生の話がある。
皆 そういう風に繋がるんだ、といずれは解るのだが、少しずつ、遠くまで延びた糸をたぐるように緩やかなネタばらしが紡がれる。

「飴子さん」は今「架空の姉」と一緒に生きてはいないのかもしれない。でもけして姉と過ごした幼い頃のことを忘れたわけではないし、嫌って連絡を断っているわけでもないようだ。それを感じて心底ほっとした。連絡を取らないのは深い信頼があるからかもしれない。


「架空の」同居人は一人暮らしの自分を傷つけないし、喧嘩して自分を置いて出ていくこともない。その点では雛子さんのような生き方は「幸せ」でもあるだろう。

ここの住人たちは皆優しい。自分にとっての常識とかちょっとした好奇心とか他人への様々な違和感を持ちながらも、決して高齢者同士 踏み入り過ぎず、傷付け合うことはない。
隣人の男性にも誰にも言えない「過去」があるのだが それさえ、あったのかなかったのか「架空の」思い出のように思えるのだ。

救急車が来て 誰かが運ばれていく。最近見かけなくなったな、と思うとその部屋が「空き部屋」になり補修と清掃の後 新たな「高齢者」の住人が入る。
夫婦だったり 一人暮らしだったりする その人たちはそれぞれどのように日々を生きていくのだろう

「小人を見たことがある」雛子さん、「小人を見たことがある」海外に住む少女、その少女に温かい友情で応える小島先生は年齢を感じさせない親しみを感じる素敵な女性だ。
健康でまっすぐな大学生の誠の優しさ、恋人の亜美の若さと自身への正直さ。
自分たちを捨てた母を許せない兄、正直のトラウマ。未来に何の不安も無いような生まれたての赤ん坊。そして雛子さんのマンションの住人たち。

雛子さんだけが暗く不幸に描かれているわけでもない。逆にまるでそこが絵本の世界のように明るく美しく不思議に心に残る。

物語は「えっ?終わり?」という風にプツンと終わる。これからの雛子さんの生活に変化が訪れるのか やっぱり壊されることなくそのままなのか それは解らない。でも、こうやってひととひとは切れず繋がっていて、その中で雛子さんは自分なりの幸せな生き方を選んで(それが他人に変に見えようとも)生きていくのだろうと思う。

姉と私、ゲーム機なんて無い時代、色んな遊び、色んなお喋りをしたことを思い出す。あの時、笑ったよねぇ、覚えてる?あの「ごっこ遊び」の始まりのお決まりのセリフ、こうだったよね、と話してみたい気がするが、今が充実している姉に「何?そんなことあった?」と聞かれるのがちょっと怖くて なかなか言い出せないでいる。


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# by nazunakotonoha | 2016-06-26 07:49 | 江國香織 | Comments(0)

うたかた サンクチュアリ

実家の本棚にあった古い本。少し黄色いページがきらきらとして。


うたかた/サンクチュアリ
  • 吉本ばなな
  • 新潮社
  • 380円
Amazonで購入
書評
いつ読んだのか、すっかり忘れていた。若いころ買って読んだのだろう、ページはもう黄色い。


比較的最近に「キッチン」「みずうみ」を読みなおしレビューも書いたので、この「ばななさんらしい感じ」にすっかり懐かしさのようなものを感じたのだった。

黄色いページから溢れる言葉は相変わらずみずみずしくて、どこを取っても「金太郎飴」のようで(ちょっと違うか。)きらきら輝いている。

「うたかた」では 「人魚」という(変わった)名前の女の子と少し年上の嵐、「サンクチュアリ」では智明と少し年上の馨が登場します。どちらも語り手となる主人公の一人称で語られるので 「地の文」からそれぞれの個性的な比喩や言い表し方が溢れ出してくるのだ。
だからといってどの登場人物も 周囲から浮き上がった突飛な思考や感じ方のひと、という風に描かれているわけではない。というか、作者の持つ景色やものごとを表現する「言葉」はそれが「普通」で、「普通に」紡ぎだすとそんな風に、きらめく言葉のオンパレードとなるのだろう。

「うたかた」での「淋しさ」についての表現は「ふと目覚めてしまった夜明けに、窓いちめんに映るあの青のようなものだ。」といい、「サンクチュアリ」での「イチョウの木を見上げて見る青空」のような心のありようとか、そうやって文にされたら ああ、そうだよね、と納得する。

「兄弟ではないかと疑いつつ恋に落ちる(?)若い男女」とか「不倫相手を自殺で亡くした男と未亡人の運命的な出会い」なんて、あらすじだけを説明すると何だか昼ドラか昔の少女漫画みたいでもあるが、例えば「うたかた」の主人公「人魚」の「どこにでもいそうにない」環境や生い立ちと、それを重くも暗くもしない語り口、のほほんとした性格はそれらと確実に異なるし、「サンクチュアリ」でも全くドロドロしたものや薄暗さを感じさせない まっすぐで清潔な人物造形と会話の美しさは この作者ならではだと思う。


「付箋をつけたら付箋だらけになる」と書いた以前のレビュー同様、付箋こそつけなかったが、煌めく文章にどっぷりはまって読了したのだった。

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# by nazunakotonoha | 2016-06-11 21:17 | 吉本ばなな | Comments(0)

サロメ

純粋で残酷な幼さもまた それはそれで更に怖ろしい。

サロメ
  • ワイルド
  • 岩波書店
  • 378円
Amazonで購入
書評


漫画や昔話、そのほかの本に出てくる幼く可愛らしいお姫様も「~じゃ」「~だぞよ」なんて語尾で話すものがある。私はこの福田恆存訳サロメしか読んだことがないので 「なのだよ」「だよ」というサロメの話し方がさほど「少女らしくない」と思ったことも無かった。(16歳だと改めて聞くとそんなにまだこどもだったのかも思うけれど)

ビアズレーの挿絵は独特の雰囲気があって好きなのだけれど、描かれている女性(サロメ)は 現代日本の「可愛い」文化の中で捉えたらおよそ「美少女」の枠に入るものではない。

けれど、そんなことも置いておいて、この薄い本の内容の濃さ、耳に残る台詞、印象深さは圧倒的だ。

サロメの台詞。預言者の声、肌、髪などを順に褒めては拒まれ、拒まれてはけなし、また別の部位を褒め、の繰り返し、そしてまたサロメの要望を別のものに変えようとするヘロデ王と「ヨカナーンの首を」と、譲らないサロメとのやりとり。

月の様子を差し挟むことで 醸し出される美しさと怪しさ。

もともとは聖書の記述でヘロディアの娘(王女)が踊りの褒美に聖者ヨハネの首を所望し、ヨハネが処刑された下りがあるという。短い記述で、ヨハネの処刑は王妃であり母のヘロディアの言うとおりにしたまでのこととなっている。
そこに少女の「恋心」を絡めて物語を再構築したワイルドの発想が凄いと思うのだ。

誰をも魅了する美しい少女の姫、義理の父である王から汚れた大人の目で愛でられることは彼女には何の罪もない。夫の目を娘のサロメから離そうとするヘロディアの台詞は 子供を守る母のものでもあり、若い娘に嫉妬する女のものでもある。

その関係性の中に入ってくるのが王と王妃の婚姻を否定する聖者。(王妃はもとヘロデの兄嫁であり 律法で許されていない)。だが王は聖者に畏怖を感じ、捕えたもののどうすることもできないでいる。声に耳を傾けてさえいるのだ。王妃は自分を悪く言うヨカナーンを疎ましく思い、同じように思ってくれない王に対しいらだちを隠せない。

だが、ヨカナーンの首を欲したのは この物語ではサロメ自身だ。はっきりと、高らかに。
ヘロデのどんな他の褒美の申し出にもなびかない。欲しいのはヨカナーン。
ヨカナーン、ではあるのだが ヨカナーンの「皿に載せた首」なのだ。

叶わない恋、傷ついたプライド。支配欲、独占欲。
ひたすら恋する純粋な少女だと思えば一層 その変容が怖いのだ。
生首にキスする図をおぞましいと思いそれを狂気と呼ぶか それでも「純愛」というのか。

比較的短い台詞のやりとりで、ぐいぐい読者(観客)を惹きつけ 怒涛のラストまで連れて行く。ワイルドの傑作だと思う。

新訳が光文社から出ていると聞く。探したがまだ手にしていない。
野田秀樹が現代風アレンジを加え、多部未華子がサロメを演じる舞台もあるそうだ。
いまどきの言葉をはつらつとして語る「新しいサロメ」も気になるので、他の訳と読み比べたり、色々な舞台も観てみたいと思う。

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# by nazunakotonoha | 2016-06-07 23:02 | 海外の作家 | Comments(0)

きょうはなんのひ

きょうはなんのひ しらないの?しらなきゃ かいだん3だんめ。
みんな一度はやってみたくなる 手作り宝探し。
嬉しくなって 楽しくなって 大事にしたい素敵な絵本。


きょうはなんのひ?
  • 瀬田貞二
  • 福音館書店
  • 1260円
Amazonで購入
書評


まみこちゃんの 手作り宝探しに
おかあさんは(おとうさんも巻きこんで)おうちの中 あっちへこっちへ。

いやあ、これ 一度はやってみたくなりますよね。
お母さんでも 子供でも。

おうちの中の 色んなところに
次へ次へと隠された 小さな手紙

次の場所はヒントしか書かれていません。
そのヒントのまた オシャレなこと。
いいセンス、まみこちゃん!!

そして色々家の中を回るうち 
大好きな絵本を見直したり ピアノをおさらいしてみたり
金魚も眺めてみたし

そうそう 気が付きそうで気が付きにくいところ ほら、って
ちょっと 頭の体操。

お父さんにも電話して


さて 今日は一体何の日だから
まみこちゃんがこんなに張り切って 素敵な仕掛けをしたのか
最後に タネあかし。


ちょっと 懐かしい感じのする 家の造り、間取りやインテリア
小物などの描きこみを よくよく眺めるのも 楽しいです。

おかあさんと一体になって まみこちゃんの計画に
どきどき わくわく。

そして お母さんとお父さんが 楽しんで喜んでくれるかな って
まみこちゃんの目線で うきうき そわそわ。

絶対 楽しい絵本です。


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# by nazunakotonoha | 2016-06-03 09:52 | 絵本の感想 | Comments(0)

エヴリシング・フロウズ

学校内の仲間、学校外の仲間、そして家族。一人で見つけた楽しみ。
どこかがどんなに息苦しくても きっとまだ居場所はあり、振り向けば見守ってくれる相手もいるのだ。


エヴリシング・フロウズ
  • 津村記久子
  • 文藝春秋
  • 1728円
Amazonで購入
書評

図書館通いの父は 新聞の新刊案内や書評を見て気になったものを切り抜いている。
そういう本はたいてい人気で貸し出し中で順番待ちだそうだ。
それでもどんどん切り抜きは溜まるので、どれでもいいから今あるのを借して、と次々出すそうだ。

本人いわくこの本をカウンターに出した時、ちょっと怪訝な顔をされたという。確かに読み始めてみたらいまどきの中学生の話で なかなか何も起こらず、良く解らなくて10ページで挫折したそうだ。
何で切り抜いたのか思いだしてみると 仕事をしていた時縁のあった土地「大阪の大正区」の話と、どこかで紹介されていたからで、それだけを期待してもう少し読もうとしたが さっぱり地名も出てこない。冒頭の簡単な地図は見る人が見たら 確かに「大正区」なんだそうだ。

どちらかと言えば私の好きそな本だということで 返却まで期間もあるので借りて読むことにした。作者、作品については予備知識は全くなかった。

スクールカーストという言葉を出した作品も最近多いが、言葉は出さずとも 今も昔も中高生にはそれぞれの「持ち場」があり、何とはなしにそれぞれがその「位置」を意識していたように思う。
ただ、その「位置」を自分自身がどう受け止めるかが大事で、私の頃は、だからといって他の「居場所」にいる人をどうこう言うことはなかった、ように思う。
 

私は主人公のヒロシや増田さんのように絵が好きな生徒だった。今から思えばかなり「痛い」奴だが、スケッチブックに「作品」(イラストや漫画)を持ち歩いていた。けれども誰にも文句を言われなかったし、「浮いている」とも感じなかった。遠い昔のことだけれどね。

この物語で彼らも「絵が好き」「絵が上手い」けれど誰にも文句は言われない。(他人の課題を代わってやって、表彰されても口に出さないからかもしれないが。)
好きなことを好きにやっていればいい、それなら「カースト下位」(こんな言葉はこの物語では出てこないし、好きでもないがあえて使います)でも それなりに楽しく学校生活を過ごせる。
ただヒロシが増田さんの絵のうまさと周りを気にしない様に 敗北感を感じ、絵なんか興味ないふりをして自分をごまかすことも 何となく解る自分がいる。
事件の発端となる「カースト上位」のヤツこそ 姑息な手を使い、他人を傷つけでもしないと 自分の居場所を守れない 可哀そうなヤツなのだ。可哀そうと言うにもやり方が酷過ぎる気がするが。


ヒロシが「名前が近い」という理由でつるむことになったヤザワはどこに位置しようと、誰がどう思おうと気にしない。転居の理由も謎だし、充実していそうなプライベートの時間も何をしているのか不明。でも ヒロシは思うのだ。そんなことを知らなくたって 知っていることは沢山ある。喋ってないことも沢山あるけど、ヤザワの言葉を沢山知っている。
そうだろう。友達同士だって何を話し、何を話さなくてもいいかなんて それぞれだ。
カースト上位の彼らが知っていないと落ち着かないことなんて 他の仲間たちにとってはどうでもいいことなのかもしれないのだ。
そんなヤザワが嘘の噂を流され とんでもなく酷い目にあう。これは犯罪の域だと思う。
それでも相変わらず彼はたんたんとかわすのだ。
よわい、地味、格好良くない、要領悪い。
そんな立ち位置でもかまわない。友達のために自分がやるべきと 決めたこををするヒロシはすごくカッコいいし、周りがどう思おうと何をされようと飄々としているヤザワも素敵だ。


事件が一段落した後起こるのは 文化祭の展示準備と大土居さんの家の中の問題だ。
ヒロシが密かに好きだった娘とソフト部でバッテリーを組む強打者の大土居さんは 後半までいい風には描かれず、ヒロシを襲った謎の通り魔でもある。
謎をひっぱったまま 男女のグループは出来上がり 大土居さんの家で作業が始まる。

校外の友人 自分だけの趣味、学校の人は誰も知らない休日の行動、そんなことがさらりと描かれていて、それこそが息詰まる学校生活の中で自分を保ち自分を支える大事なものなのだ、と感じさせる。

大土居さんだけは家庭こそが息苦しく大変な空間だったのだが、そういう時こその「仲間」の存在が癒しとなり助けとなるのだなと しみじみ感じた。
また、もうすっかり離れてしまった「父」の葬儀で出会った半分だけ血の繋がった弟の存在。ふと「似ている」ことに気づき一瞬だけ涙したヒロシの気持ちを思うと 何だか辛く、一緒に泣きそうになる。こうやって皆 歩いていくんだな、と思うと別れていくのが切ないながらも逞しく頼もしく思え、心からのエールを贈りたくなる。 


ブリューゲルの画集を好んだり チケットがあるからといって友達と美術展にいったり、澁澤龍彦を読む中学生にはお目にかかったことが無い。
探せば実は密かに居たのかもしれない。自分だけが本当は「皆と一緒」じゃない、と思っていた、そういう時期、素敵な個性に出会えなかった(気付けなかった)ことが少し残念だ。


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# by nazunakotonoha | 2016-06-03 09:40 | 未分類(国内の作家) | Comments(0)

密やかな結晶

ひとつずつ「消滅」がやって来る。受け容れて生きていく「島」のひとびと。
静かで不思議な 物語。

密やかな結晶
  • 小川洋子
  • 講談社
  • 720円



世界から「何か」が消えるという話を他にも読んだことがある。

ともすれば 悪魔や死神との契約、SF、ファンタジーとしてその世界ならではの説明のつくような物語を想像しがちだが そういうものとは違い、「説明」が全くないのだ。何とも不思議な世界に ぽんと放たれた感じで 呆然とする。

例えば、鳥、たとえばオルゴール。香水、大きいものではフェリー、小説、そしてついには…。
そういった「もの」がある日ひとつずつ、その島では「消滅」する。「消滅」はその「もの」が消えて無くなるのとは違う。ひとびとにとって「意味のない」ものになるのだ。何の思い入れもなく、「それ」に対して何も感じることができなくなり、思い出もいずれ消え失せるという。
そして秘密警察に逆らう者として追われるのを怖れるからというより、自ら「消滅した」ものに関わる全てのものを何の感慨もなさげにすててしまうのだ。燃やす、川てに流すなどの手段をもって。当然 秘密警察の家宅捜索や強制的な没収という形もある。
そして だんだん解ってくるのは、小説家である主人公の女性の母親や編集者R氏など、「記憶を失わない=『消滅』のない」ひとの存在。秘密警察が追い、つれて行かれる先も理由も、その後どうなったのかもわからない。何かの実験台にされたのだろうか。追い、迫害するかのように見せて、実は「記憶を失わないこと=身体、脳の機能」を秘密警察や、さらにどこかに存在する「上」の者が望んでいたのだろうか。そういう説明も最後までつきはしないのだ。

小説家である主人公の書く物語も並行に挿入される。これもまた声を失い、代わりに頼っていたタイプライターも壊れ、奪われ、支配と拘束の中 不思議な諦めと安心の中「消えていく」女性の物語だ。そうしてまた、現実でも消滅は進み、「失わない」彼を匿いながら、自分自身はどんどん消滅に身を任せていくのだ。

「失うこと」は悲しい、むなしい。けれど、それに気が付くのはものが消えても思い出が消えない人たちで、失っていく多くの人たちはその悲しさにも気付かない。そんな世界だ。失ったもので「心にぽっかりと穴があく」、というが 彼らは穴ぼこだらけのまま何も気付かず 寂しさもむなしさも感じないのだ。それをそばで見る「忘れることができない人」の気持ちはどんなだろうか、と思う。
何となく予測し怖れてもいた結末は だが意外にもぼやりとした明るさをのこしている。何かが終ってしまった後 これから世界が始まる予感、というのだろうか。ものがたりに引き込み、留め、こんなに余韻を残す作者に感服。


さて、この世界を受け容れながらただ、「消滅」ということについて現実に起こりうるか少し違和感があった。力で抑圧された人々が、忘れたふりをして生き延びる、という設定でもないからだ。ナチスを思わすようなこの抑圧が苦しすぎて自ら「喪失」に鈍感になろうとした結果なのかもしれないが。
ひとつ現実的に ストンと納得したことがある。物語からは少し離れる。高齢で耳の遠い父が「自分から音楽が無くなった」というのだ。会話や台詞なら経験と予測で補うからいい。だが、聞こえないだけでなく「とぎれる、ずれて聞こえる、雑音が入る波長」があり、流れるメロディとして楽しめないというのだ。だからもうCDは聞かず、プレーヤーも不要だから すててしまう。音楽番組は見ない。ドラマも映画も音楽は聞かない、というのだ。ああ、これって「消滅」ではないのだろうか、そう思った。辛いと思うと余計に苦しい、寂しい。だから本人も忘れるようにするのだ。関係するものを周りから排除するのだ。「歌えるよね?思い出の歌とか」私が言い、促して一曲一緒に懐メロを歌ってみた。自分の歌も変に聞こえるそうで、「だから歌えない」と言う。「ちゃんと聞こえるよ、おかしくないよ」と励ました後 その話はそこで終わった。酷く寂しい気持ちになってしまったのだが、その数時間後、書斎から小さく「鼻歌」が聞こえてきたのだ。
父から、「音楽」は消滅していない。そう思うと嬉しくなった。もうひとつ、大切な人を失うと「ぽっかり穴があく」のだろうと思っていたのを訂正したい。穴は出来るかもしれないけれど 決して空洞にはならない。沢山の思い出話を周りの人として 自分は知らなかったことが増えた。へこんだ穴どころか溢れるような沢山のもので 残った者は満たされるのだということを今回 亡くなった母に教えてもらったのだった。
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# by nazunakotonoha | 2016-05-18 08:21 | 小川 洋子 | Comments(0)

その街の今は

「きょうのできごと」に続いてもう一作。ゆるーい日本映画とか好きな方は この雰囲気にはまると思う。


その街の今は
  • 柴崎友香
  • 新潮社
  • 340円
Amazonで購入
書評




前に読んだ「きょうのできごと」では 章ごとに目線が違っていたり 「きょう」を軸にしてそこに集まった人たちの毎日や過去を垣間見せたりと もう少し手が込んでいたように思う。
これは日々の流れに沿って、主人公目線で描いている。更にのんびりした気持ちで読むとき向きかもしれない。
以前にTVドラマにもなっていたという。
読みながら 小林S美らの出演する映画「かもめ食堂」などの一連の映画に共通する時間の流れや空気感を思い出していた。

これといった事件は起こらない。
出会いを求めて合コンをする女子の話だけど ガツガツ感は全くなくい。いことあったらいいなぁくらい。ハズレでもちょっと文句を言った後は 女子だけでのんびりとお茶を飲んでいたり。

場所は大阪 心斎橋や御堂筋 関西在住の人や大阪の土地勘がある人には 場所が具体的に思い浮かんで頭の中で映像化しやすいだろう。あまり大阪の地名が解らない人 大阪弁が苦手ば人には読みづらいかもしれない。なんせ 会話が「むっちゃ 大阪弁なんやもん」。(とはいえ まったりした普通の会話なので 大阪弁=お笑い=オチが必ずある=騒がしい みたいなイメージで考えておられたら これは違います)

主人公の歌ちゃんは勤めていた会社が倒産して失業中。アートを飾った小洒落たカフェでバイトをしている。趣味は大阪の古い写真を見ること。集めること。
そんな昔の写真の場所と今の様子を見比べながら流れていく時間に思いを馳せる。

合コンで会った人の中にも 寺が好きな人がいたり(結局全く縁が無いままだったが)、もう会わないと思っていた好きだった人とちょっぴり再会したり、ひょんなことで仲良くなった年下の良太郎と少しずつ仲良くなっていったりする。良太郎は歌ちゃんの「古い写真好き」を面白がってくれるし それなら、とTVで興味深そうな番組をやっていたらメールをくれたり、手に入れたフィルムをくれたりする。恋愛の進展に期待して読むともどかしいくらいだけれど この何となくの幸せ感は好きだ。他にカフェに来るお客さんのおじさんたちも優しくて 良太郎に限らず、大阪の古い写真の入った本を見せてくれたり挟まっていた写真をくれたりする人がいる。

最初にも書いたが 大きな事件も恋愛絡みの詳しい描写も無い。合コンを繰り返す女子たちと言っても嫌なことは起こらずドロドロやら確執なんかもない。
みんないい人だ。

世の中の大方の人は 実は親を亡くしていたり ちょっと悲しい失恋を経験していたり 失業したりしながらも 表面上はゆるい毎日を繰り返し その日々が繋がって繋がって 次の世代に引き継がれていくのだろう。
街は徐々に姿を変えていく。道は舗装され、建物は建て替えられて 川や橋さえも名前だけを残して 姿を変える。戦争もあった。火事や災害もあった。それでも「街」は続くのだ。

この本で○○橋という駅名や地名が本当の橋、その下には川があったことを忘れがちだったことを認識しなおしたのだ。

壊された建物の向こうに隠れていた古い路地が見える。白黒の古い写真で見た玄関先に薔薇の咲く家がそこに見え、心の中の白黒写真に 鮮やかな薔薇の色が付き始める。
その映像が目にくっきりと浮かび もしかしたら私はこのドラマを観たのかもしれない、と思ったのだ。(実際は観ていないかもしれないが)
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# by nazunakotonoha | 2014-10-31 20:52 | 柴崎友香 | Comments(0)

きょうのできごと

何でもない「きょうのできごと」。「今日の自分」の中に、周囲に、沢山のひとの毎日や思い出が積み重なっていて それがずっと未来に続いていくんだ。そんな風に書かれていないものにも思いを馳せてしまったりして。


きょうのできごと
  • 柴崎友香
  • 河出書房新社
  • 473円
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書評






本を買って来て DVDで先に映画を観た娘と内容の話をすると どこか違う。
一番残ったシーンは「クジラが打ち上がった話」と「壁に挟まれた人の話」だと言う。
いつも借りてきてもらって 私も観るのだが どうも思い出せない。たまたま私だけ観ずに返却したようだった。
取りあえず原作を読むね、と読み出しても一向にそんなエピソードはなさそうだ。
会話の中 思い出話の中にも無く もしかしたら「…なニュースがTVでは流れている」なんてさりげない一行でもあったっけ…と思ってみたり。

映画レビューを探してもよくわからないので 原作と映画両方について語ってくれているサイトを探し、やっと映画のオリジナルの挿話だったことが解った。
映画のそれらは 原作の「ふつうの『今日』」を際立たせる効果もあり、原作ファンのその方も好意的なようだった。なるほどね、と納得。


本の話に戻ります。
章ごとに視点と時間が変わりながら 幼馴染の「けいと」と中沢、中沢と付き合っている真紀ちゃんが、京都の正道くんの下宿に引っ越し祝いに行き そこに更に友人や後輩のオトコ3名がいて 飲んで食って 酔っぱらって 足りなくなったアテとお酒をまた買い出しに行って。
真紀ちゃんは酔っぱらった勢いで 上手くも無いのに他人の散髪をして 失敗して。懲りもせずもう一人の散髪もして。途中から数人ずつ違うことしているし(ゲームしてたり 女子二人でTVに合わせて歌ったり)。

イケメン好きのけいとは「かわちくん」にやたら 話しかけているし、帰った後では彼の方が奇麗に散髪されたという点で 失敗作のまま放置された西山くんは怒るし。(シンメトリーが好き、という西山が怒りに任せてやりだす その迷惑行為が面白いです)

まあ「今日」はそんな感じで過ぎていくわけです。ごくごく普通の順調な彼氏彼女。いつも通りの良好な友人関係。薄暗い「実は・・・」なんて潜んでいなくて とんでも無い事故も事件もおきません。激しくネタバレではありますが 変に先読みして 急展開を想像したらいけません。そう、何にも起こらないといってもいい。

でも そんな「今日」の周りには 「この間」があって、かわちくんは彼女と動物園で何だか上手くいかないデートをしていて かわちくんなりに自分の性格についてちょっと思い悩むところもあったりします。
西山くんだって 思い出したくない触れてはいけない最近の「失恋(?)」事件があったようです。

車に乗ってうとうとしている間も 幼馴染の中沢とけいとは小学校時代のクラスメイトの思い出話をしています。高校時代の二人の思い出話も出てきます。(けして二人が付き合ったことがあるとか 実は好きだったとか そういう話ではありません)
そう、「今日の前」や「今日のずっと前」には 後から出会った真紀ちゃんの知らない時間があるんですね。だから 真紀ちゃんは帰る前にちょっと 二人の通った高校や歩いた道や話に出てきた駅が見たくなる。

ここのサイトでこの本を検索したときに「きょうのできごと 10年後」というのがあるのを知りました。どうなんだろう、読みたいような 読まなくていいような。

今日が何にもなくても 10年後この子たちが皆 幸せで生きているとは限らない。普通に過ごしていたとしても そのまた周囲の人たちがすごい事故やら事件やらに巻き込まれていないとも限らない。
平凡な一日をそれぞれどこまで覚えているだろう。
楽しかったな、とそれぞれが思い出す日が来るんだろうか。


忘れてしまったような 学生時代のごく普通の一日を何だか懐かしく思い出すような気持ちになりました。



補足:全て関西弁で書かれています。私はとても自然な雰囲気で読めましたが、関西人でない方は読みづらく感じることもあるかのな。
「そうなん」という返事が随所に見られます。その言葉ごとに少しずつ語尾の上がり下がりがあったり ニュアンスも違う。本当は関西人でも個人個人、地域地域で 関西弁のキツさが違います。文字にしたらほとんど標準語みたいな、イントネーションだけ関西弁というのもあります(コテコテの人の方がめずらしい)。ただ 仲間で一緒にいると喋り方似てくるかも。
関西弁の使い方の書き分けまではされていませんが(多分)きっとそれをするとすごく大変だろうなぁなんて思いました。
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# by nazunakotonoha | 2014-10-11 18:33 | 柴崎友香 | Comments(0)

ニシノユキヒコの恋と冒険

上手くいかなかった恋愛を1つ描く物語はよくある。一人の経験したいくつかの恋愛を扱いながらその人の一生を描くものもある。でもこれはニシノ君の上手くいかなかった10の恋の、なんともむなしい物語。


ニシノユキヒコの恋と冒険
  • 川上弘美
  • 新潮社
  • 460円
Amazonで購入
書評




ニシノユキヒコに自分なら惚れるのか、ニシノユキヒコはそんなに魅力的なのか、という気持ちを読んでいる間じゅう、ずっと持っていた。
そんなに面白い本なのか 私は最後まで読めるだろうか そもそも恋愛小説は苦手な方だ。映画になったその宣伝を見た覚えからも、裏表紙のうたい文句を読んでも これが川上弘美作でなければ まず手を出さなかったと思う。(映画のニシノくんは竹之内豊だった。読んだ後の私の印象は「最高の離婚」の綾野剛、かな)

自分の年齢にも女性の年齢にとらわれないその恋は どんな女性読者に対しても どこかしら自分を誰かに重ねて読めるようにできている。若くない読者ならば 過去の自分を沢山重ねられる。私もしかり。(そんなに恋愛らしい恋愛を数えるほどしてないけれど、そこは想像で補って)

モテる男の恋愛遍歴。優しくて男前で清潔。結婚詐欺師にでもなれそうな男だが 別に女性にみつがせたりヒモ生活なんかはしない。きちんとしているところはキチンとしていて 頭の良い大人の女性だってニシノくんに魅入られてしまうのだ。
ただ 女性たちは皆 ニシノくんに入り込み過ぎることを恐れるかのように 先に自分をセーブする。傷つきたくないんだ、女って皆。

ニシノくんはしれっと 二股を掛ける。これって二股っていうのかな、なんて言いながら。
どうしたら人を愛せるんだろうか、なんて聞いてくるのだ、少し寂しい目をしながら。
へらっとしながら 過去に何かトラウマがありそうな影を見せ こんな風に話すのは「誰にもってわけじゃない」なんて言う。去ろうとすると 本当に寂しそうに「どうして?」と聞く。結婚したいとも言う。

でも女性はちゃんと知っているのだ。こういう男は治らない。
どんなに愛で包んでも ふらりと他の女性に甘えた姿を見せるのだ。
ほら 愛で包むなんていう時点で もう女じゃなく「お母さん」になっちゃうじゃない。

この物語に出てくる 色んな世代の女性はこの「お母さんになる」ことを 絶対にしない。ニシノくんって何だか可愛そう 一生寂しいんだろうな と感じるカンの良さはあっても 決して自分の一生を投げだしても ニシノくんとずっと一緒にいようとは思わないのだ。
女子は幸せになりたいんだ。ニシノくんに囚われていると幸せになれない匂いがするのだ。


ところでずっと気になっていたのだが タイトルの「恋」はいいけど「冒険」って?
彼はいったい何の冒険をしているのだろうか。不思議でもあります。
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# by nazunakotonoha | 2014-10-11 18:28 | 川上弘美 | Comments(0)

変身

嫌な夢を見た後でもんもんとする そんな感じ。


変身
  • カフカ
  • 新潮社
  • 340円
Amazonで購入
書評



冒頭の文章と、誰が何になってしまった話かは大変有名だけれど、何を延々描いてあり最後はどう終わったのか言える人はそんなにいないんじゃないだろうか。

ところで 虫は好きですか?


カブトムシやクワガタじゃなく、セミでもなく、ぬるぬるした粘液を動いた後に残し 身体の割に細い足がわさわさ動く(解説ではムカデのようなイメージに書かれていたが 私の中ではゴキブリ、またはダンゴムシ(しかも巨大)。
ダンゴムシを家の中で見ることはまずないが 「ゴ・・」の彼(彼女かも)が出現したら我が家では家じゅう大騒ぎになる。最近のそれ用の殺虫剤は強力なので逃がしたり追いまわそたりこそ減ったけれど 倒れた後 新聞にくるんでのお片づけの際もその姿をなるべく見ないようにしながらなので大変だ。
毎夏 出来る限り出会うことが無いように ホウサン団子を撒きまくる。
幼いころは、コオロギなら触れたけれど 今はダメ(似たようなものだと言われてからダメになってしまったので)

そんな自分だからこの話を読んでいる間中 かなり辛かった。

虫になってしまったグレーゴルに感情移入したら身体全体がザワザワしてしまう。生きているのが辛すぎる。自分の足が見えるのが怖い。そして家族の反応が解りすぎるくらい解る。だって自分がその立場でも恐怖だもの。

気持ち悪さを我慢して読むと グレーゴルがこの状況に置いて 順にやってみること、思いめぐらすことが 実に「普通」で面白い。
まずはどうやって起き上がり ベッドから降りるのか、と自分の身体の動かし方に慣れるまで苦労するあたり。一生懸命ドアごしに喋りながら だんだん自分の言葉が人間のそれとして相手には聞こえなくなっていることに気づいていく様子。
会社に行かなくちゃいけないけれど どうしたらいいんだろう、クビになったら家族養えないし、とか まずの悩みはそんなだったり、

ドアを開けたら息子の代わりに虫がいたとして 家族はこれがイコール彼だとはたして本当に思うのだろうか。目の前の虫がせめて喋ったなら信じるかもしれないが、コミュニケーションが取れないこと 取ろうとしてもらえない物語なので なぜだかすぐに虫が「変わり果てたグレーゴル」だと家族は納得してしまう。だからこそ いきなり追いまわされてたたき殺されそうになったりはしないのだ。納得と諦めから始まる 虫になった彼との生活は家族をどんどん追い詰めてくる。
家族思いの一家の大黒柱だっただけに 虫になってさえ心配する家族への愛はなかなか切ない。

たたき殺さず、なんとか食べられそうな物(エサ?)を探して与え、手早く部屋の掃除をする妹。
息子を見捨ててはいけないと思いつつ 直視できない母。不機嫌な父。
ただ家族は経済的に彼におんぶされたままではいられないのでそれぞれに職を探し、物を売り、やがては下宿人を置く。団結して「家」を守ろう「生活」を続けようとするのだ。一室に「彼」を生かしておいて。

それでも本人はだんだん自分は「虫化」していくことを感じてもいる。
部屋を這いまわり 天井に張り付いているのが 気持ちよく思えたりする。部屋の家具を除けて這いまわり易くしてくれようとする妹と母の姿を見ながら喜びそうになり いや、喜ぶのは違うだろ、と思い直し、壁に掛けた額縁にへばりついてそれだけでも死守しようとする。けなげな「虫の彼」の行為はちょっと可愛い。



妹が久しぶりにバイオリンを弾き下宿人に聴かせている。
ずっと重苦しかった家に妹のバイオリンの音が響いたこと、そして音楽を聴くことを自分がまだ喜べるという実感は 彼を幸福にするのだ。けれどそのせいで、自分の姿を人前にさらした時の問題を忘れてしまうのだ。


家に入ってきた「他人」たちは騒ぎだし、下宿人を置くという経済的な解決の手段を失うことをきっかけに 何とか保たれていた「虫になった彼」との共同生活は崩壊する。「虫」はもはや「兄ではない」と妹は言う。「人間として出来る限りのことはやってきた。誰も非難はできない」「これをもう引き離さなくちゃいけない、潮時だ」と。彼らはそうやって自分たちを納得させるのだ。
もともと弱りつつあった彼の身体がついに死を迎えるということで終わりを告げるのだが。

「他人」の中で別扱いなのは すぐに辞めた女中 次に来た台所にカギをかける女中の後、最後に来た手伝いのおばあさんだ。彼女はそれがただの本当の虫だと思っているのかどうか解らないが、時々グレーゴルの様子をのぞき見て からかうように相手をする。たたき殺される心配もあるが 案外この人となら何とかしてコミュニケーションが取れたかもしれないと思う。残念なことだ。

で、家族はどうしたか?
「やっかいもの」からやっと解放されて 前向きに生きていく。手始めに休暇を取っての「家族旅行」?やれるだけやった、こうなったのも仕方なかった、と割り切れたのだろうか。無理にでも割り切ろうとしているのだろうか。


息子が朝になったら虫になってたら いやいや部屋に入ったら 息子はいなくて代わりに虫だけがいたら…。どんな姿になっても家族は家族、愛せますっって言いきれるのか?
そんな姿になって うとまれているのが解っているのに 相手を驚かせないように隠れて 家族の行く末を心配して…なんて 絶対できない。

虫に嫌悪感をあらわにする「他人」たちに共感してしまい、家族の気持ちが解ってしまう自分がいて 何とも嫌な話なのである。
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# by nazunakotonoha | 2014-09-27 21:42 | 海外の作家 | Comments(0)

花が咲くころいた君と

夏のひまわり、秋のコスモス、冬の椿、春はさくら。 それぞれの季節の花とその花の色のように鮮やかな
ひとつひとつの物語。

花が咲く頃いた君と
  • 豊島ミホ
  • 双葉社
  • 600円
Amazonで購入
書評


吉川トリコさんが解説しているように、豊島ミホさんも同じR-18文学賞出身なのだそうだ。
なるほどな、と思う点もあるが そんな予備知識はあまり要らないかもしれない。私の中ではずっと以前に呼んだ「檸檬の頃」の作家さんで、中にそんな描写があったかより、嫌なところも弱いところも曲がったところも含め、等身大の女の子たち男の子たちを真っすぐに写し取った作品を書くひとだ。温かく見守るなんて上から目線でもなく すごくナチュラルで公平。さて、花の名前を冠した4つの短編は それぞれかなり違う趣を持つ。

1話目「サマバケ96」。

見た目も家庭環境も違うギャルと優等生の中学生女子が、ある「片思い」をきっかけに仲良くなった話。
夏休みを思いっきり楽しもうと計画して、二人で宿題を一気に済ませた後に過ごした中学最後の夏。ギャルのアンナが危なっかしくて、ナンパされて男子と絡みだした辺り、お話がどっちにいっちゃうか心配したけれど、優等生のユカがぶれない子だったおかげで爽やかでちょっと切ない話に仕上がっています。
恋愛より友達との時間を 男の子より、この危なっかしくてだけど彼女にとってすごく魅力あふれる友達との時間を大事に思うユカの気持ちに共感します。ひまわりは枯れかけの姿で登場し 夏の終わりを二人に気づかせます。でも、二人が必死で宿題を片付けながらその後の自由時間をどうやって遊ぶかをわくわくしながら考える辺は 二人が気づいてなくても鮮やかな黄色のひまわりのイメージです。

2話目「コスモスと逃亡者」

「もしかして、お嬢ちゃん、アレかな。あんまり、その、賢くないのかな」

語りはずっと18歳でのたからちゃん。出会うのは借金から逃れて妻子を置いて逃げている男。作家さんがちゃんと意識して「たからちゃんの言葉」としてこの物語を綴っているのだと思うので、たからちゃんは語彙の豊富な表現力豊かなとても多感な娘、ということになる。軽度の知的障害を持つ子ということは 高校を卒業してからお母さんが簡単なコンビニへの買い物とそれを冷蔵庫にしまうことを彼女の日課とさせて、なるべく家から出さないことなどから少しずつ窺える。身体の成熟に合わせ男の子が「遊んでくれる」ようになり、女の子の仲良しだった子が離れていく。たまに会った女友達の態度がそれとなく読者に周囲の目線を感じ取らせる。
たからちゃんに誰も それはいけないことだ、そんな相手とそんなことをして気持良いなんて思ってはいけないのだ、と教えない(お母さんは彼女が高校を卒業するまで男の子たちとそんな付き合いをしていたことを知らなかったのかもしれない)

たからちゃんはただ、仲良かったはずの相手が いつまでも傍にいてくれないことだけを知っているのだ。窓に切り取られたコスモスの空き地を眺めながら。
逃亡者のおじさんは悪いひとではない。弱いひとではあったけれども。
たからちゃんに結局 そういう形で癒されてしまうけれど、コスモスの空き地でのピクニックと素直な会話はたからちゃんの幸せな時間だった。
何だか考えてしまう。これもまた切ないお話。

3話目「椿の葉に雪の積もる音がする」

椿の好きな祖父は図鑑を持っていて それには沢山の名前を持つ椿の種類が載っている。両親は仲良しでそこそこ裕福で、弟もいい子、祖父も入れて5人家族。(お爺ちゃんはほんの少しだけ家族から浮いている。嫁からして舅との同居ということではわりと普通の感じかもしれないが)
題名の言葉は 眠れない時にお爺ちゃんの布団にもぐりこんでいた主人公がお爺ちゃんに聞いた言葉。しん、とした夜の雪景色、鮮やかな赤い椿が目に浮かぶ。
中学生。近しい人を亡くすことは この時期からだんだんと経験することが増えるだろう。その時の様子をこんなに細やかに書いたものを初めて見た気がする。
おじいちゃんが倒れ、病院に運ばれた日、お別れとなった日、通夜と葬儀、火葬場まで。事務的に進むこと、大人の動きに取り残される感じ、泣くとか嘆くとかいう感情が滞って、固まってしまう感じ。そして 全てが落ち着いて 日常に戻って、欲しかったセーターを買ってもらった時やっと溢れだすたくさんの想い。
大事なひとの喪失を沢山体験してきた人も、有り難いことにまだの人も 是非読んで欲しい作品。
雪の夜にはどうぞ耳をそばだててみて下さい。

4話目「僕と桜と五つの春」

CMでアイドルを見たら この子は「カナハギさん」だろうか、とふと思ってしまった。容姿の美しい子、高校でスカウトされアイドルになる子がそれまでに素直で可愛く生きてきたとは限らない。
主人公の吉谷君のカナハギさんへの究極の片思い。
勉強ができない、上手く喋れない彼は 小学生の頃 ひとり塀に囲まれ誰も知らない廃屋の庭に美しい桜の樹を見つける。彼の大事な秘密だ。中学でカナハギさんを見た瞬間 彼は彼女にその桜の姿を重ねる。
目立つグループに属していても どこかいつもひとり。そのグループのパシリでいじられるだけの役回りになった吉谷に、冷淡、冷酷な仕打ちさえするカナハギさんを それでも吉谷君はずっと「好き」なのだ。
同じ高校に入って「今まで一緒にいたことは絶対言うな」、アイドルの道を歩み始めると「私を見るな」。吉谷君は彼女の無茶な要求でも何でも受け容れて 彼女が気を悪くでもしたら、自分が悪いとまで思う。ここまで卑屈にならなくても、と思うくらいに。
アイドルとしてTVに露出が増え、反感を持っていたクラスメイトもやがて減り、普通に友達もできた様子のカナハギさん。芸名が期せずして「さくら」なのは誰が決めたのだろう。
傷ついて痛くて(←比喩で無く)酷い目にあいながら、それでもカナハギさんを見守って(見てはいけないので彼女の気配と 見ていたころの思い出だけで)吉谷、なんてけなげなんだ、とこっちの心が痛む。
救いは 上手く喋れなかった吉谷くんに高校ではいい友人ができ、桜の樹の傷の手当てをきっかけに将来したいことが見え、進んでいけるようにまでなったこと。
そして カナハギさんと桜と やっと幸せな時間が持てたこと。「ごめん」の言葉を貰えたこと。
中学生の頃 突っ張っていたカナハギさんの心にどんな闇があり、アイドルになっていく過程でどんな葛藤があったのか詳しくは解らない。
ただ、どんな扱いをしても好きだと言ってくれた吉谷君の存在と 大事な秘密の場所を教えて、あんな奇麗な桜を自分と重ねてくれたことへの感動の気持ちは カナハギさんにもあったのだ、と思ったら 凄くうれしくなった。
桜を見たらまたきっと この二人を思い出す。
吉谷君はみじめなヤツなんかじゃない。

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1話目の感想でも書いたけれど 主人公たちは皆「ぶれない気持ち」を持っている。
どきりとする題材やシチュエーション、人間関係が扱われているが、それでもこの「ぶれなさ」がどの作品も大事にされていて 爽やかさや温かさにつながっているのだ。それはまた、この豊島ミホさん自身の「ぶれなさ」だと思うのだ
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# by nazunakotonoha | 2014-09-03 18:02 | 豊島ミホ | Comments(0)

第二音楽室

「音を楽しむ」、で「音楽」。だけど人と合わせてやっていくときには「楽しい」ばかりじゃいられない。小・中・高校生が主人公の、音楽に絡むひととのつながりをテーマにした4つの短編集。


第二音楽室
  • 佐藤多佳子
  • 文藝春秋
  • 530円
Amazonで購入
書評


「サマータイム」以来 久々に読む佐藤多佳子さんの作品。

4つの短編はそれぞれ、鼓笛隊でリコーダー担当になった小学生、歌のテストのために男女ペアを組むことになった中学生、先輩の卒業式の卒業証書授与のBGMのためにアンサンブルを組んで披露することになった中学生男女4人、そして複雑な想いを胸に隠して高校の部活でバンドを組む女の子の話だ。

小学生の時のソプラノリコーダー、なかなかいい音出なかったよねとか、中学の音楽の先生はリコーダーの専門家だったけど 教える方には力入ってなかったな、とか歌のテストのピアノ伴奏やったこととか、古い古い記憶がよみがえる。

だけどやっぱり今思い出すのは 子供たちのそれぞれの幼稚園や小学校、中学校の音楽会で 目立たない位置や楽器でも一生懸命やっている姿を うるうるしながら観たこと。
幼稚園児の可愛らしさ。小学生の生真面目さ。中学生の合唱コンクールでは 纏まらないクラスで紆余曲折があったことを聞かされていたからこそ、何とかやっと作り上げたことへの感動。
吹奏楽部で辛い思いをした子、自由にできるはずの趣味のバンドでもあるそれなりの苦労。
「思い出のアルバム」の歌じゃないけど「あんなこと、こんなことあったでしょ~」なのだ。

本の話に戻ろう。

どの話もすべて楽器が絡む。そして特徴的なのはこの「友情」が永遠だとか言わないことだ。
それぞれの物語の、1年間や数カ月の間の時間は 今、長く感じても長い人生の中のまだまだ初めの頃の ほんの一時期になってしまうのだろうと そういうことも解っている。作者も読者も主人公たちも。
それでも この期間 気持ちを合わせて音を創ることがどんなに素晴らしい経験でずっと大事な思い出になるかも 皆、ちゃんと解っているのだ。

音を合わせるには 心が合わなくてはいけない。気持ちのすれ違ったまま、本当の自分を隠したままではどこかずれてしまうのだ。
そして ひそかに好きな相手と合わす音のうれしさ、その時のときめきは読んでいても幸せになったりドキドキもする。
テストのために男子にペアを組んでもらうようお願いに行くなんて そんな「粋」な計らいがあったら 私ならどうしただろう。物語の中学生たちがちょっと羨ましくもなる。

「普通の」クラスメイトたちからのいじめや無視のトラウマはきっと大きい。
出会った歌に支えられ、家で弾くギターに楽しみと癒しをもらい、新しい居場所を探す「裸樹」の主人公はずっと悶々としている。
居場所を守るために当たり障りの無いおどけた自分を演じ「上手くやって」行こうとする姿は痛々しいけれど、みんなそんな風なのかなと思わせるリアルさがある。

バンドをやるってことは それぞれの目指すところが合ってないと難しい。練習して上手くなりたいのか どれほどの完成度を望んでいるのか。思ったことを言って喧嘩になりたくないとか 技術の差をあからさまにしたら雰囲気が悪くなるかもしれないとか 空気を読まなくてはならないことが満載で やっぱり音楽好きで集まった人の中でも生きることはなかなか難しい。

楽しいだけじゃやっていけないのは 音楽だけのことじゃない。
だけど 人生の中、一瞬の「切り取った時間」であれ、音が美しく重なり合って、一緒にやっている仲間との気持ちのいい空気が生まれたら、それは一生の宝物になると思わせてくれる。

読み終えてしみじみ 楽器に触ってみたいな そう思う。
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# by nazunakotonoha | 2014-08-18 16:47 | 佐藤多佳子 | Comments(0)